
とまあ、この小説を読み終えたところなので、それについて一言。あらすじや書評を読んだだけでは何も感じるものはなかったのだが、日本翻訳出版文化賞という、たいそうな賞を受賞した作品だというので、読んでみてもいいかなと。(古書店で文庫本5冊で1500円と安かったせいもある)
で、読み始めてすぐにれれれ? というのも、この賞の過去の受賞作というのは、どれも私でもタイトルや作者名見ただけで、「これは確かになんらかの価値があるんだろうな」とわかる、学術書や古典なのである。ところがこれってミステリじゃん。なんでミステリ? しかもこれが処女作で、別に名のある作家でもない。これはよっぽど死ぬほどおもしろいとか?
で、読んでみての感想は、べつによくあるミステリじゃん! それも思いっきり通俗的な! 歴史ミステリとしては、ロバート・ゴダードあたりによく似ているが、これならゴダードのほうがまだおもしろいし、痛快だし、カタルシスもある。(最近の彼の作品はつまらないが、昔のものはかなり泣かされた)
どういう話かというと、イギリスの大荘園の相続者のはずの少年が、その財産を横取りしようとする親類縁者の策謀でさんざんに翻弄されながら、家族の秘密と、遺産相続の決め手となる隠された遺言書を探し求めるという話。
思わず笑っちゃうのは、この少年と母親に降りかかる不幸が半端じゃないのだ。そういや、『世にも不幸な物語』という小説もあって、なんか最近映画化されたようだが、私はタイトルだけは気になってたものの読んでない。とにかくこれは、まるで昔の大映ドラマか今の韓国ドラマかという(どっちも私は見たことがないので憶測だけで書いている)、ありえないような偶然とありえないような運命に翻弄される子供の、ベタベタでコテコテのメロドラマ。
なにしろ、「渡る世間は鬼ばかり」という感じで、親切そうに近づいてくる人が、揃いも揃ってみんな血も涙もない極悪人なんだからね(笑)。それでまたそれにころっとだまされてしまう主人公には、「バカかよ!」と言いたくなる。なにしろ長い小説だから、それがえんえんとくり返され、とうとう最後には「もう誰も信じられない」というところまで行くけれど、このワンパターンだけ見てもたいした小説じゃないというのがわかる。まあ、つまらなくはないですけどね。人の不幸や貧乏は楽しいから(笑)。
いちおう、売り物は「ディケンズそっくり!」ということらしい。確かに、ここは『オリヴァー・ツイスト』、ここは『荒涼館』、ここは「デイヴィッド・コパーフィールド』、ここは『大いなる遺産』と、元ネタはすぐにわかる。でもそれだけ! 解説の小池滋さんは「19世紀の古典的小説に対する小説批評を小説の形でやってのけたのであった」なんて書いてるけど、たぶん苦しまぎれの言い訳で、まさか本気ではあるまい。
だって、有名作家のおいしいところだけをつまみ食いして、つぎはぎしただけの小説なんてなんの価値がある? これじゃパロディにもなってないよ。「主人公キャラはハムレットなんですが、ベニスの商人のような事件に巻き込まれ、ラストはロミオとジュリエットになるんです」と言われたって読む気しないでしょうが。
というのも、私の専門であるSF小説では「スチーム・パンク」(19世紀を舞台にしたSF)なんてジャンルもあるぐらいだし、やはり大好きなシャーロック・ホームズのパスティーシュもたくさん読んでいるので、19世紀ものの娯楽小説には一家言あるのだ。そういうパスティーシュは19世紀をリアルに描くとともに、いかに歴史に新しい光を当て、現代につながるものを引き出せるかが勝負所なのだが、そんなもの、この小説にはぜんぜん感じられない。(ちなみにこのジャンルで私のお気に入りは、ティム・パワーズのタイムトラベルもの『アヌビスの門』。これも早川文庫から出てます。絶対おすすめ!)
これは蘊蓄小説でもある。しょっちゅう19世紀の風俗についての蘊蓄がはさまれ(当時の上流階級の使用人間の階級制度とか)、この小説がこんなに長くなってるのはそのせいもある。私も蘊蓄はきらいじゃない。でもこのたぐいは専門の研究書読めばいくらでも書いてあることだからねえ。
でもそれが地の文に入っているぶんにはまだ許せる。許せないのはその上、各章におびただしくついてる注(原注も訳注も)。そこでもやっぱり蘊蓄が披露されているが、田中康夫の『なんとなくクリスタル』
じゃあるまいし、小説に注付けるのって最低って習わなかったのだろうか? 少なくとも私は、翻訳に注を付けるのは最後の手段と教わったぞ。確かに海外小説には日本の読者になじみのない言葉が多いが、それを文章だけで察することができるようにするのが翻訳者のテクニック(で、いちばん苦しいところ)なのだ。
でもそれはまだ許せる。絶対許せないのは、注の中で、作者本人がネタばらしをしてしまうこと! よくあるじゃん。ミステリを古本で買ったら、最初のページに「こいつが犯人だ」と書き込みしてあったとか(笑)。もちろんミステリを読む楽しみはそれですべてぶちこわしになってしまう。それと同じことをこの作者はやってしまうのだ。
もちろんそれほどあからさまではないが、ミステリには伏線ってものがあるでしょう? 勘のいい読者なら、それで謎の答えに気付く。勘の悪い人は最期まで読んでから、「ああ、あれはそういうことだったのか!」って気付くやつが。ところが、この小説では、その伏線に注がついてて、「これはこういう事実を暗示している」と解説してあるのだ。こんなミステリがあるか! これだけでも作者が相当頭が悪いか、読者なんかいちいち説明してやらなきゃわからないほど頭が悪いと思ってることがわかる。
特にこの小説の最大の謎は、主人公の本当の父親は誰かということなのだが、それを中盤で(注の中で)ほのめかしてしまうのにはまいった。でも最後まで読んでみてわかったのだが、この謎は最後までいちおう謎のままにしてある。謎解きをあえてしないで、読者の想像にまかせるというのは、これまたミステリではけっこうある。私の大好きな(ミステリでは今いちばんのお気に入り)ミネット・ウォルターズの『女彫刻家』がそうだった。(彼女の作品はあまり後味のよくないこの作品を除き全部おすすめ) それはそれで、余韻と謎めいた雰囲気と後味の悪さと考える材料を与えてくれるという点でけっこうなのだが、わざわざそういう結末にしながら、途中でばらしちゃうってのはなんで? やっぱり書いとかなきゃ読者にわからないと思ったんだろうが、書かなくても物語から推理できるようにしておくのが作家の役割でしょうが! というわけで、ミステリとしては致命的な欠陥。
というわけで、ほんとにどうでもいいような小説なのだが、つい長々書いてしまったのは、最初の「日本翻訳出版文化賞」というのが引っかかってるから。なんでよりによって、こんな出来の悪いミステリに賞やる? もしかして長けりゃいいのか?(笑)
それで過去の受賞作を見ていたら、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』があることに気が付いた。これに賞あげるのは大いにわかる。あの原文、死ぬほど難解で読みづらいし、作家としてのエーコも偉大な作家だから。しかし、考えてみるとあれもミステリ仕立て(でもやっぱり純文学)で、同じ薔薇というタイトルがついてるから、もしかしてあれと似たようなものだと思ったのか? そういや私は知らないが、『薔薇物語』というのも受賞しているし、薔薇ならなんでもいいのかい!
翻訳者の甲斐さんは私の先輩で、あまり悪口言いたくないんだけど、Geoffreyをジェオフリーと書いたりするのがちょっとだし、(これは単なるJeffrey(ジェフリー)の異綴で、発音は同じ)、方言もややぎごちないし。だいたい、えらい英文学者の先生に翻訳させたり解説書かせるあたり、出版者も最初からなんか勘違いしてない? ただの出来の悪いミステリなのに。
ちなみに、インターネットで書評を検索したら、この小説のことはべたぼめしている人が、「第2作、第3作と現代物のミステリーを書いて不評、久々に歴史を絡めたストーリーで期待されたこの 作品だが、謎解きはバレバレ、登場人物は薄っぺら、文章は読みづらい、いいとこなしの駄作でした 」だって。だから最初からヘボ作家なんだってば! 私はもう英文学者でもないし、えらい先生だったことは一度もないが、それぐらい私だって一読してわかるぜ!
と、一度は終わったんだが、なんでこれにこんなにむかっ腹が立つんだろうと考えていて、原因がわかった。つまり、英文学者なんてものは、ディケンズとか聞いただけで、「おっ、おもしろそうですね」と乗り出すのだが(これも一種のコンプレックス)、タイムトラベルとか聞いただけで、ゲテモノとして退けてしまう、というところにSFファンとしてコンプレックスと憤りを感じていたのだ。
ティム・パワーズなんて、ディケンズどころか、シェリーもバイロンもキーツも(その他有名文人多数)本人役で出てくるが、でも彼の翻訳は文化賞なんかもらえなかったし、おそらく今は絶版で、その後まったく翻訳されていない。イギリスものを書いてるアメリカ人作家というところは同じでも、作家としての力量もおもしろさもパリサーなんかとはくらべものにならないのに。
ジャズやブルースはいいけど、ロックはうるさいからだめというのと同じですな。どっちにしろ私はコンプレックスのかたまりなんで(笑)。
賞と言えば、前にも書いた吾妻ひでおの『失踪日記』が日本漫画家協会賞 を受賞しましたね。これも私は大いに不満。ギャグマンガの不世出の天才で、すばらしいセンスオブワンダーの持ち主だった人の、ギャグもワンダーもほとんどない、というか、笑えない現実の話だもん。まあ、多少は賞金が出て、暮らしが楽になったんだといいけど。そういや、全盛期の吾妻さんが唯一もらった賞は星雲賞で、これもハヤカワから、SFだからだった。
で、腹立ちまぎれに今度はハヤカワにいちゃもん付けるんだけど(笑)、ハヤカワから出たSFには本当に本物の傑作も数あった。なのになんで最近出る翻訳はどれもこれもつまんない、というか、ほとんどSFの新刊出さないの?
そういや、最近買った『タフの方舟』という文庫の帯に、「イーガン、チャンがわからなくても、この本の面白さはわかります」
と書いてあったが、それ言ったらおしまいじゃないかー! 要するに、鳴り物入りで紹介したグレッグ・イーガンやテッド・チャンは「一般読者にはわからない」、「おもしろくない」と自分で言ってるようなもんじゃない。まあ、べつにぜんぜん難解ではないけど、つまんないのも事実だけど(笑)。(イーガンはアイディアだけはすばらしいんだけどね、やっぱり小説が下手なのよね)
ついでに言うと、『タフの方舟』もいかにも軽く書き流しただけの、まるで昔のパルプ小説みたいな作品で、作者のジョージ・R・R・マーティンのファンだった私としてはがっかり。『サンド・キングス』でデビューしたときはすごい新人が現れたと思ったんだけどねえ。
で、何が言いたいかというと、どうでもいいようなSFばっかり出さないで、本当におもしろいすぐれたSFを出してくださいよ、ハヤカワさん。これじゃSF離れがますます進むだけじゃん。ということなのだが、もちろん私がすばらしいと考えるような作家は売れなくて、1冊出たところで打ち切りになるわけだ。もしかしてこれって音楽と同じ?(笑) そうか、どうせ私はそういう運命なのよね。(落ち込む) でもCDなら輸入盤も買えるけど、小説は翻訳が出ないことには日本の読者に知ってもらえないのに。
そういや、私が大推薦していたRain Bandも売れました。すぐに売れたのはいいんだけど、買ってくれたのはまたも外人。わざわざ日本の、それもこの日記の読者のために仕入れたのにー!
ワールドカップの予選がそろそろ始まるので、そわそわし始めてるじゅんこです。ここで「え? 予選は終わって出場決まったじゃない」と思ったあなた、私が日本人だから日本を応援しなきゃならないなんて夢にも思ってない非国民だってこと忘れてますね。もちろん私はイングランドのサポーターなので、そっちのほうが気にかかるわけ。
別にフットボール(サッカーと呼ばないのも英国びいきだから)もそれほど好きってわけじゃないんだけどね。前にも書いたように、私はスポーツ全般をバカにしているので。ただ、フットボールは英国の国技なのと(だから、あんたはなに人じゃい!)、見ててわりとおもしろいから。
それでもいちおう日本のバーレーン戦と北朝鮮戦は見ましたけどね。わりとがっかりね。だって弱いんだもん! もちろん、これでも往年の日本サッカーよりは格段に強くなってるのは知ってるけど、世界のトップクラスとくらべちゃうと見ててイライラすることばっか。あの弱っちい北朝鮮相手に2点しか入れられないなんて!とか。韓国とくらべても大人と子供だもんなー。
で、それならいっそのこと、北朝鮮みたいなめちゃくちゃなチームを見てるほうがおもしろい(笑)というわけで、アジア予選は北朝鮮に注目してました。すると、観客が暴れて第三国での無観客試合、監督が主審に抗議して退席処分、エースは暴行でレッドカードと、観客・監督・選手が三拍子揃った切れっぷりで、大いに楽しませてもらった(笑)。
ただ、私はダーティー・ヒーローは好きだけど、ヒーローというからには憎たらしいほど強くなくちゃ意味がないので、単にダーティーで弱いだけっていうんじゃなー。
だいたいスポーツなんてのは、どんなものでも見るより自分でやるほうがおもしろいに決まってる。なのにプロスポーツが存在するのは、自分じゃとうていできない妙技を鑑賞するためなんだから、弱いチームはお呼びじゃないわけ。その点イングランドみたいに、優勝もねらえるだけの実力がありながら、勝利に対する執念がなくて、なかなか勝てないチームはハラハラドキドキしておもしろいっす。ちょっと前までの阪神ファンの心境みたいなものか?(笑)
でも、今年のイングランドはえらく快調みたいで、ルーニーとかリチャードソンとか若い新星も現れたし、「もう終わった」とか言われていたベッカムもまだやってくれそうだし、なかなか楽しみ。
ところで、これはデマかもしれないが、イングランドの応援歌をKasabianが作るかもしれないという噂が。やりー! 行け行け! ただ、前のNew Orderもそうだったが、Kasabianも決して攻撃的なタイプではなく、気が抜けてぬるい感じの音楽なのがちょっと気にかかるが、これも国民性か?(笑) ここはやはり、スコットランドやウェールズは音楽で差を付けてやるべきだと思うがどうか?
かわいそうだから、少しは日本チームのことも書いてあげよう。あと1年でどれだけ強くなるかが問題だよねー。もっともスポーツの世界で1年と言えばものすごく長いんで、まだわからないけど。ただ、日本代表を見ている私の知ってる顔ばかり、ということは(Jリーグは見ないので)ほとんど前回のワールドカップのメンバーばっかりじゃん。あれから若手がぜんぜん現れてないってのは問題あるんじゃない? 監督は前のトルシェよりジーコのほうが好きなので勝たせてあげたいんだけど。
選手では唯一見ていてうまいなーと思うのはやっぱり中田ヒデ。彼はスタイル抜群だし、ストイックな坊主頭といかにも日本人という感じの糸のように細い目がエキゾチックで良い。(だからあんたはなに人だって!) もっともルックスがいちばん好きなのは鈴木くんなんだけどね。ああいうワイルドな顔した男の子好きなんで。
CDやレコードはもう商売だし、義務として買わないわけにはいかないので、いきおい、しわ寄せはその他の部分に来る。いや、ろくな飯が食えないとかいうのはダイエットにもなるし我慢できるんですがね。(実際は、前にも書いたように粗食のほうが太るのだが) 貧乏していていちばんつらいのは本が買えないことね。私は音楽中毒である以上に活字中毒でもあるのでこれはつらい。
最近、新しい本が買えないので、自分の蔵書を読み返しているのだが、私が「最高!」と思った作家の本は、前にも書いたようにたいてい翻訳は1冊しか出てない(苦笑)。ところが、当然ながら続々新刊は出ているわけで、アマゾンとか見るとほしい本ばかり。でも洋書は高いのだ。(あくまでCDや和書の古書とくらべた場合) 海外から直接買えば安いけど、本は重いので今度は送料が目の玉が飛び出るほど高い。(一度、amazon.ukから5〜6冊買ったら、送料1万円取られた上に関税まで取られて泣いた。だから、読みたくてしょうがないのに手が出ないわけ。うう〜。
大学教授というのは、そのため研究費というものをもらっているのだが、私が勤めていた短大はまれに見るドケチ大学だったので、それがたったの1万円。専門書なんか1冊買っただけでなくなってしまう。(普通は少なくとも30万円) 今はそれすらないので悲しい。新聞取るのやめてその金で本買おうかと思ってしまう。
そんなわけで、サラリーマンの給与所得控除をなくして必要経費を申請するようにするという案には大賛成だ。これは大学教授やってたころから、不公平だと思っていた。私もサラリーマンだから控除を受けていたのだが、文房具から何から自腹の私と、なんでも会社が支給してくれる会社員とじゃ差がありすぎると思って。
経費と言うことになれば、サラリーマンは減収だが、研究費もない私は本はすべて経費で落とせるはずだから、少しは本買うお金もできるなあ。だって、勉強しない大学教員なんてありえないからね。(実はしてない)
ただ、洋書を読むのは年々きつくなってきている。英語がじゃなくて、活字が見にくくて。特にペーパーバックは紙が悪くて印刷も汚いし、老眼が進んでメガネも合わなくなってきてるのに、買い換えるお金もない私にはしんどい。
しかし、普通ここまで貧乏していれば、少しはまじめに働こうという気になりそうなものだが、ぜんぜんそうならないのはなんでだろ?(苦笑)
帰りの電車で読むものがなくなってしまったことに気づき、早稲田の古本屋を冷やかして歩いていたとき、一冊の本の書名が目に飛び込んできた。題して、『愛その他の悪霊について』。
私はもちろん、「おおおおー!」と叫んで飛びついた。と言っても、なぜかはわかる人しかわかるまい。なんでかというと、Strangelove
(Patrick Duffのソロアルバム“Luxury Problems”は6月20日発売。よろしく!)のセカンドアルバム“Love
And Other Demons”のタイトルと同じだからだ。このタイトルは一目見たときから、「いかにもStrangeloveらしくて、かっこいいなー」と思っていたのだが、明らかにこの本から取られたものであることは確実。
それで、「でも誰の本?」と手に取ってみたら、ガルシア=マルケスやんけー! マルケスの日本で出た翻訳はすべて持ってると思ってたが、なぜかこれだけがもれていたらしい。96年に出た本なのに、なんでよりによって今日の今日まで! というのも、私はStrangeloveの熱烈ファンである以上にマルケスの熱狂的愛読者で、よくある「無人島に一冊だけ持っていく本」を選ぶとしたら、『百年の孤独』は当然のこと有力候補になるぐらい好きだからだ。
これと言い切れないのは、ほかにも好きな本がたくさんありすぎるから。いちおう候補をあげておくと、マルケス『百年の孤独』か、トールキン『指輪物語』か、前にも書いたマーヴィン・ピーク『ゴーメンガースト三部作』か、ジョセフ・ヘラー『キャッチ=22』か、トマス・ピンチョン『V』か、ああ、この調子であげていったらきりがないや。バラードやP・K・ディックも気が狂うほど好きなのだが、SF作家は1冊を選ぶのはむずかしい。
で、とにかく不明を恥じながらさっそく買って帰りました。そういや、あの頃からお金がなくて(というか、本を買うべきお金はすべてCDに注ぎ込まざるをえなくて)、本屋へ行くのも遠慮してたぐらいだからなあ。でもさすがPatrick
Duff、読書のセンスも最高ね。ほんとにインテリなんだよなー(こういう人はロックミュージシャンでは少ない)。あのアルバムが出たのが96年、原書の発売が94年だから、おそらく英訳が出てすぐ読んで、それをタイトルにしたのだろう。
そういや、書名をタイトルにしたアルバムも好き。バンド名だけどEyeless In
Gaza(オルダス・ハクスリー)とか。そのEyeless In Gazaの曲名をもらったPale
Saintsとか。だいたいが、中味がちゃんと原典へのオマージュになってればいいのだ。ああ、それ言ったら、Strangelove自体、キューブリックのパクりだし(たぶん、Depeche
Modeじゃないと思う。私はあの曲も同じぐらい好きなのだが)、Strangelove Recordsはそのまたパクりのパクりだし(笑)。
以前、『世界の中心で愛を叫ぶ』について、他人が苦労して考えたタイトルをパクることを糾弾したが、ジャンル違いはOKなのだ。でも原題と違う翻訳タイトルをそのままパクるのって最低。『ノルウェーの森』もそうだが(笑)。だいたいあれは邦題自体、誤訳だし。
えー、なんか話がすっかりそれてしまったが、要するにPatrickのことを思い出してうれしかったというだけ(笑)。でもそれだけじゃ、マルケスさんに対してあまりに失礼なので、ついでに書評めいたことも。
はっきり言って、彼は『百年の孤独』を書くために生まれてきた人だと思う。よって、それ以外の彼の作品は残念ながらどれもあの小説のスケールと迫力には遠く及ばない。にもかかわらず、やっぱりどれを読んでもおもしろいのは、『百年の孤独』が並はずれて尋常でないおもしろさなのと、基本的にきわめて巧みなストーリーテラーだからだ。
マルケスを読むのは私としては本当に久しぶりなのだが、やっぱり変わらぬマルケス節に思わずほほえんでしまった。これこれ、この心理描写と感情表現を完全に廃した書き方。このせいで、彼の小説はみんな民話か伝説のように聞こえるんだよね。ほら、たとえば「赤ずきんちゃんは狼に食べられてしまいました」、「狼のお腹を裂くと赤ずきんちゃんが出てきました」みたいな。考えてみたらとんでもないこと言ってるんだけど、感情表現がまったく伴わないから、かえって、ドライで、こわくて、おかしくて、不思議なんだよね。おっと、つい「専門的」な話になってしまいましたか。
というわけで、マルケスを知らない人には『百年の孤独』を読んでほしいし、知ってる人はおそらくこれも読んでるだろうから、この際、ネタ割ってもいいでしょう。
で、純愛小説がブームなんだそうだ。それで私はそのたぐいの小説が、虫酸が走るほど、聞いただけでゲロ吐くほど嫌いなのだが、これは堂々たる純愛小説である。
だって、セックスが存在しないもの(笑)。なにしろ主人公(というのはあってないようなものなのだが)の少女の父親は、2度結婚しているくせに52才まで童貞だし(笑)、少女も大恋愛のすえ、処女のまま死ぬし。
いやいや、ちゃんと話さなくちゃわからんじゃないか。お話はというと、18世紀、南米の植民地に移住したスペイン貴族のドン・イグナシオの一家にまつわる物語。そもそもマルケス作品だからして、まともな人間はひとりも出てこない。そして内容もタイトルそのまま、愛という名のデーモンに取り憑かれ、自らを滅ぼした人々の話である。
ドン・イグナシオは由緒ある裕福な貴族の家に生まれたにもかかわらず、知恵遅れ気味で、大人になるまで文盲のまま、女にはまったく興味を示さないという、ほとんど生きた屍みたいな人なのだが、その彼が屋敷の隣にある精神病院の狂女に恋をする。ついでながら、その恋のお相手は見た目も美しく、頭も性格も良くて、傍目には狂人ということはまったくわからない。ただし、自分のウンコを食べてしまうことを除いては(爆笑。ここらがいかにもマルケスらしい)。
当然ながら、彼女との結婚は父に猛反対され、仲を割かれたイグナシオはだんだん頭が変になっていく。父親に無理やり結婚させられた最初の妻は、美しく才能に恵まれた貴族の娘だったが、処女のまま稲妻に打たれて死亡。半ば強姦されて、その父親に銃で脅されてやむなく結婚した混血の妻は、愛のない結婚への不満から多淫に走るが、愛人に捨てられ自暴自棄になる。
こういう壊れた両親に、望まれることもなく生まれてきて、まったく愛されもせず、存在すらほとんど忘れ去られた、ひとり娘のシエルバ・マリアは12才まで奴隷小屋で奴隷といっしょに育つ。そして侯爵令嬢というよりは黒人奴隷の文化にどっぷり浸って野生児として育ったばかりか、この娘も少々常軌を逸している。
だいたいこういう筋書きなら、堕落した白人は知らないような大地の知恵と生きるたくましさを身に付けるとかいった展開が予想されるが、彼女が覚えたのは「白人(父母も含む)に何か訊かれたら、必ず口から出まかせの嘘を答える」といった、ろくでもないことだけだし(笑)。
話はシエルバ・マリアが市場で狂犬に噛まれたところから始まる。(当時はもちろん発病すれば必ず死ぬ) 娘が死ぬかもしれないという恐怖から、突然、狂おしいばかりの父性愛に目覚めたドン・イグナシオは、あらゆる手を尽くして治療に努めるが、当時の治療というのは医療と言うよりはほとんど拷問みたいなもの。(そもそも感染すらしていなかったらしい) その治療を嫌って暴れるシエルバ・マリアを見た人々は、(彼女の虚言癖も手伝って)悪魔憑きだとうわさする。
それでとうとう彼女は父親から引き離されて修道院に監禁され、悪魔祓いを受けるはめになるのだが、これがまた形を変えた拷問にほかならない。ところが、彼女を担当したエクソシスト(ですらなくて、無理やり押しつけられただけなのだが)のデラウラ神父(まじめ一筋の秀才)は本気で彼女に恋してしまう。彼女もその愛に応え、二人は秘密の逢瀬を重ねるのだが、やがてそれがバレて、デラウラは異端審問にかけられ、ひとり残されたシエルバ・マリアは監禁されたまま「愛のために死ぬ」。(本当にそう書いてある。でもなんで死んだのかは一言も書いてない)
人は脳溢血や心臓発作で死ぬんであって、愛のためには死なない。なんていう理屈はマルケスには通用しない。「愛のために死んだ」と一言書けばそれでじゅうぶんなのね。
この物語が悲しいのは、登場人物がひとり残らずいい人ばかりだということだ。生ける屍のような父親も、ブクブク太った醜い色情狂の母親も、根は悪い人じゃないのである。それどころか、普通なら当然悪役になるはずの教会関係者も善意のかたまり。ただ単に全員が悲しいまでに愛に飢えていて、しかもその愛がぜんぶ空まわりして、愛する者を傷つけ殺すところまで追いやってしまうという悲劇。
殺伐とした話の中に突然現れる、胸が痛くなるほど美しい詩情もあいかわらずだ。ここではデラウラとシエルバ・マリアが見る夢がそうだ。その夢の中ではシエルバ・マリアが(熱帯地方なのに)雪に覆われた原野の見える窓の前に座って、ブドウを食べている。ブドウの実が全部なくなったとき彼女は死ぬ定めなのだが、一粒むしるとまたすぐに一つの実が付くのだ。デラウラを奪われた彼女は二粒ずつ大急ぎで食べて、「光り輝く目をして、生まれたばかりのような肌のまま」死ぬ。
もうひとつ私が好きなエピソードは、二人がお互いの愛を試すために無理難題を出し合うところ。デラウラは自分の愛を証明するために、生きたままゴキブリを食べてみろという命令にも喜々として従うのだが、「子山羊みたいに首を切らせてくれるか」という願いには、土壇場で尻込みする。理由を問い詰めるシエルバ・マリアに彼は一言、「きみはほんとにやれるから」。
こういう純愛小説なら私は好きである。
実を言うと、アルバムはまだ買ってないんですけどね、彼らのインタビューの載ったNMEを入手したので、それについて一言。なにしろ、Suedeに対する恨みつらみだけを糧に、この10年を生きてきたBernard(苦笑)が、Brettとヨリを戻すに至ったんだから、Suedeフリークとしてはなんとしてもその理由を本人の口から聞きたいと思うじゃないですか。ところが、実際はそういう話は完全にノーコメント。しかも、この両人の10年ぶりのインタビューだというのに、インタビューは別々にという条件が付いたんだそうだ。なんも変わってないじゃないのー、あんたら! というわけで、
Bernard Butlerというのは難儀な人だと、Suede在籍時から思っていた。(Bernardファンの人、怒らないように。事実だから) 何しろ、根暗・内向性を絵に描いたような男で、ちょっとしたことでグサッと傷つき、それにいつまでもクヨクヨ悩み、ネチネチと根に持つようなタイプ。まあ、典型的な「友達いないやつ」ですな(苦笑)。
まあ、そういう人だから、Suedeを飛び出したときはむしろほっとしたぐらい。もちろんギターの才能は惜しんでも余りあったが、このままじゃたぶんアルバム2枚で解散すると思ったので。それから10年、いろんな人と仕事をしてきたBernardだが、そのどれひとつとして長続きしなかったばかりか、むしろたちまち泥沼になって決裂するあたり、その面目躍如だと思っていた。とにかく、他人とうまくやっていくことが不可能な人なんだから、ソロになったときはちょうどいいと思ってたんだけど。またそういうやつに限って、ひとりじゃ何もできなかったりする。もっとも、Brettも(これほどひどくないが)やっぱり同じようなタイプなので、もしかして同族嫌悪か(笑)。
それでこのインタビューだが、例によっての恨み節(笑)。新バンド結成の門出なんだから、少しはうれしそうな顔しろよ! だから、そんなに嫌いならなんでまたいっしょになったんだよー! そもそも、Brettやほかのメンバーに、そんなに恨むほどの何をされたっていうの? Bernardの話を聞くと、まるでほかの連中は鬼か悪魔かって感じだけど、私の聞いた話じゃ、お父さんが亡くなって落ち込んでいたときみんな冷たかったとか、べつにそれほどたいしたことじゃなかったように思うんですが。
一方のBrettは当時を振り返って、「ドラッグのせいだよ」とあっさり。(彼はこの2年間ドラッグは断っているそうです)
ご存じのようにBernardはLibertinesのシングルのプロデュースをして、ほんとはアルバムも彼がやるはずだったんだそうだが、ここではPeteのことをボロクソに言っている。相変わらずだなー。Tearsとなんの関係もないじゃん。だいたい、あんたにそこまで言う権利あるの? もしかしてLibertinesがああなったのはこの男の感化を受けたせいじゃないかと勘ぐりたくなる。それでPeteがあんなことになったのはドラッグのせいだという話になって、NMEが「デジャヴって感じですか?」と言うと、「いや、Suedeはそういうんじゃなかった」と一言。だから、どう違うんだよー!
これまでは単に、「なんて性格悪いやつだ」と思ってたけど、思うに、彼は人に傷つけられるのを恐れるあまり、傷つけられる前に攻撃してしまう、あるいは自分の殻に閉じこもってしまうタイプなんだな。こういう人もよくいるけど、それはそれで私は我慢のならないタイプである。
とにかく本人たちが何もかんじんなことを言ってくれないので私なりに推測すると、Suede後は何をやってもうまくいかないBernardは、このチャンスを密かに虎視眈々と狙っていたんだと思う。ただし彼の気性から言って、自分からBrettに声をかけるなんてことは絶対できない。でもBrettから電話があって、待ってましたとは飛びつけないから、不承不承という感じで引き受けたというところ。
Brettのほうは多少は心中を明かしている。彼がSuedeの「Bernard後」のアルバムに不満だったのはすでに知ってるが、彼の心の中には、「もしBernardが辞めなかったら」という思いがつねにあったらしい。彼の考えではSuedeはもっともっとビッグになっていたということらしいが、私に言わせればあそこでBernardが辞めなかったらもっと早くに解散してたと思うけどね。
そんなわけで、今はBernardが主導権を握っているつもりらしい。「ま、頭を下げて頼まれちゃしょうがないね」って感じで。(ほんとに下げたかどうかは不明) しかし、先行シングルを聞いた限りでは、音楽的には隅から隅までまるっきりBrettの世界。Brettとしては、適当にBernardを立てて、いい気分にさせておいて、うまく使いこなすって感じですか。
やっぱりBrettのほうが大人だし賢いんだよね。Suedeの初期には彼もかなり大人気なかったが、確かにこの人は見違えるほど成長した。それにはNMEも感心している。だったら何も今さらBernardみたいな困ったちゃんの面倒みてやる必要ないと思うんだけど。とりあえず彼のギターがほしいってことはよくわかりますけどね。音楽だけでつながっているというのはBernardの側も同じ。でも私の考えじゃ、そういう打算と計算だけの結びつきからいいものが生まれるわけないと思うんだけど。未だにアルバム買う気が起きないのはそれもある。
Anderson & Butlerのことを考えると、私は反射的にもう一組の難儀なカップル、Morrissey
& Marrを思い出してしまうんだけど、Brettと違って、解散直後から大っぴらにJohnnyにラブコールを送っていたMorrisseyに、決してなびかなかったJohnny
Marrは、やっぱりそれなりの気概を見せたと思う。私としてはこっちこそヨリを戻してほしいんだけど。でもJohnyはBernardと違って、ソロワークでもそれなりのものを残したから(Electronicとか)まあいいとしよう。
しかし、バカだよねー。今さらくっつくぐらいなら、なんでSuedeを解散したのか。単にギタリストの首すげ替えればいいだけじゃない。と言うのは今度は商業的な観点で見ているからで、「SuedeにBernard復帰!」なら大ニュースになるものを、「仕事にあぶれたオヤジふたりが新バンド結成」ではまるきり世間の反響や扱いが違うのに。なにしろこれだけのSuedeファンの私でさえ、醒めた目で見てしまうぐらいだから。
なんか暗い話になってしまったので、最後にNMEに載ってた笑い話(でも実話)を採録しておこう。
Bernard 「ぼくらは10年間一度も顔を合わせなかった。いや、実は一度だけ見かけて、車で轢きそうになったんだ」
NME 「故意に?」
Bernard 「まさか! ぼくは彼の命を救ったんだよ! ノッティング・ヒルを車で走ってたときに、彼がタクシーから飛び降りて、車の真ん前に飛び出したんだ。彼を轢かないためには思い切り急ブレーキを踏むしかなかった。彼はぼくを見たけど、ぼくとは気付かなかったんじゃないかな。なにしろべろんべろんに酔っぱらってたから、誰なのかわかったはずないさ」
Brett 「彼はもう少しでぼくを轢くところだった。きっと一瞬こう思ったに違いないよ。『アクセルにしようか、ブレーキにしようか? アクセルかブレーキか?』ってね」
NME 「もし轢かれてたら、あなたは偉大なロックンロールの殉教者になれたのにね」
Brett 「まったくだ! 轢けばよかったんだよ。そしたらぼくらの因縁にもけりがついたのに」
NME 「新聞の見出しが目に浮かびますね」
Brett 「世紀の大事件になるな。でもそのためにはぼくが死ななくちゃね」
やっぱりどう見てもBrettのほうが一枚上手ですな(笑)。しかしどっちにしろナンギな人たち‥‥。
今日は日記書いてる暇はないんですが、Patrick Duffの復活を祝って、StrangeloveのZoo'd OutのMP3をアップしたので良かったら聴いてみてください。この曲の入った唯一のCDシングルはただいまStrangelove
Recordsで買えます。
しかし、曲がちょっと地味だったかな?(笑) でもお店のほうの日記に書いてるように、これは長らく幻のトラックだったので。(私はもちろん持ってましたが) それに、私は本当にうまいシンガー(ギタリスト)はアコースティックを聴けばわかるという信念を持ってまして、そう思って聴くと、ギターも歌もそんじょそこらのレベルじゃないってことがわかってもらえると思います。StrangeloveもMansun同様、Suedeつながりで知ったバンドだけど、はっきり言ってSuedeより好きですね、私は。
ちょっと前、日本じゃキャッシュカード詐欺が騒がれてたけど、私は以前から「キャッシュカードなんかよりクレジットカードのほうがよっぽど危ないじゃん」と思っていた。なにしろキャッシュカードは盗んでもいちおう暗証番号入れないと使えないのに、クレジットならサインひとつで使い放題。おまけに日本では、そのサインすら必要ないのだ!
これ、ずーっと疑問に思ってたんですよ、私は。クレジットカードの場合、本人確認の方法はサインしかないわけ。なのに、たいていの日本の店では、サインをする前にカードを返してしまう。スーパーならサインもいらない。これが海外なら、じーっと本人のサインとカードのサインを見くらべるのに。(あげくの果てに「漢字読めない」とか言われて突っ返されたりする) (ちなみに、私はサインを漢字にしているが、これだと外人には偽造できないためである。でも中国人ならできるので、ひらがなにしたほうが良かったかもしれない) 最近、暗証番号も入れさせる店が出てきたのは、やはり盗難カードが増えてるからだろう。
しかし、暗証番号もサインも必要ないのだ。通販の場合には! 通販で必要なのはカード番号と有効期限のみ! おまけにそれはレシートに印刷してある。つまり、気軽にレシートをゴミ箱に捨てて誰かに拾われたら、それでもって通販で買い放題になってしまう。(買い物だけじゃなくほかにもいろいろ悪用の方法はあるし) せめてあれ、印刷しないようにはできないのか?
しきゃも、いったんもれたら被害は海外にまで広がってしまうのもカードの怖さ。私みたいに大量に海外からものを買う人間は、それが非常にこわい。海外だと(うちみたいな)素人同然のショップでもカードが使えちゃうわけ。そういうところがハッカーにやられたら、そこで買い物した人のカード情報は根こそぎ盗まれてしまう。いや、もちろん大手だってそういうことはしょっちゅうある。
そんなわけで、最近私は海外ショップからはめったに買わない。もっぱらeBay。eBayのほうが安いってこともあるが、eBayだとPayPalが使えるからである。もちろんPayPalだって狙われる恐れは大いにあるが、カード情報持ってるのはPayPalだけで、不特定多数のショップやセラーにカード情報ばらまくより、PayPalひとつのほうが安心だから。
と言うと、カード恐怖症の現金主義のように聞こえるかもしれないが、実は日常の買い物も含め、私はカード一本槍なんですけどね。私ぐらい貧乏してるとカードのポイントだってバカにならないので(笑)。ま、詐欺にあったらカード会社は保証してくれるから。と言っても、(気分が悪くなるので)明細ろくに見てないんだけど(笑)。
また変な和製英語作りやがって、というのはともかく、「真冬でも半袖、毛ずね丸出し半ズボンが仕事着」(ちなみに普段着は繁華街へ行くときでもジャージ)のオーストラリアよりはましだと思う(笑)。ちなみに私はスーツにタイが好きなので、ちょっといや。
とにかくこう貧乏では、自分のコレクションに割くお金なんかぜんぜんないのが悲しい現実。ほとんどもうコレクター廃業してますわな。
でもやっぱりこれだけは‥‥と思って買ったのが、Manicsのニュー・シングル“God
Save The Manics”。全部新曲で、ニュー・シングルなのは確かなんだけど、なんとこれが非売品で、前回のツアーの最終日、Hammersmith
Apolloに来た観客にのみ配られたというしろもの。これをコレクターズ・アイテムと言わずしてなんとやら。
実はお友達の上田さんの分は出てすぐ確保したんだけど、自分用はじっと我慢。なにしろeBayでもみんなが殺到して高いので、少しでも安くなるまでじっと我慢と思って。ところがぜんぜん値段は下がらないばかりか、出品される数もみるみる減っていくので、これじゃ下手すると永遠に買えなくなっちゃうと思って、とうとう買ってしまった。上田さんのときより4ポンド安いだけだったけど。
それが先日届いたのだが、ピカピカの新品、なのに、ジャケットの一部が輸送中に少し折れてしまった! いちおう当て紙はしてくれたんだけど、それが薄すぎて封筒が折れちゃったんだんだよね。私だったらこれだけ貴重なCDは念には念を入れて包装するのに、これだから素人は。これはもう1枚買って、こっちは日本で売ろう。と細かいことにこだわるあたり、まだまだコレクター根性は死んでないな(笑)。
で、かんじんの曲だが、もうこれだけ思い入れのありすぎるバンドは、好きすぎて、いいのか悪いのかもよくわかんないや(笑)。とりあえず、シンプルでいさぎよい感じが好きです。昔のNickyの写真を使ったスリーブもすてき。
ちなみに、この3曲は日本盤の“Lipstick Traces”に入るそうです。なんで今ごろ! またよけいな出費増やしやがって(笑)。まあ、日本盤は売って多少は元は取れるからいいか。でもどうせ今ごろ出すなら、もっとおいしいおまけを付けてくれればいいのにね。DVDとか。
それはそれとして、今コレクターとして全力投球してるのはPatrick Duffのニュー・アルバム。いや、アルバム買えるのはいつになるやらわからないんだけど、その前にプロモだけは死守しようと。私のManicsコレクションなんて屁みたいなものだけど、いちおうStrangeloveは負けられないので。そういや、Strangeloveもギグでのみ配布された7インチがあって、私はそれも持ってるんですよ。と言っても誰も感心してくれないのが悲しいが。
あと最近買ったのは、Depeche Modeの交換用CD。これはViolatorの限定盤のボーナスCDの収録曲が間違ってたために、あとから交換用に配られたもの。これも高かったので待ってるうちに15年たってしまった(苦笑)。Depeche Modeコレクションこそとうの昔にあきらめてるんだが、私はこのアルバム買ったのに、交換なんてやってることも知らなかったので、やっぱりほしかった。
「あなたでも今日からできるブログの作り方」みたいな本の広告を見るとイライラするのは私だけだろうか? またクズ情報がネットに増えるのかと思うと。少し前までは「サルでも作れるホームページ」とかね(笑)。
クズ情報が増えると何が困るかというと、検索がやりにくくなるからである。特に私はつねにいろんな情報(もちろんほとんどが音楽関係だが)を検索しないとならなくて、でも仕事以外で英語読むのはしんどいから、日本のページで捜そうとすると、引っかかるのは個人のどうでもいい感想文ばっか。しょうがないので、やっぱり英語で検索かけるはめになる。(ちなみに英語でいちばんヒットするのはレビュー・サイトとショップ。こっちは納得なので、日本のグーグルはソート方法になんか問題あるんじゃないか? それとも日本のサイトがクズばっかりなのか?)
「太郎ちゃん(仮名)の成長日記」とか、「山田一郎(仮名)半生記」みたいなのは、もう好きにしてくれって感じだけど、素人の感想文はどうにかしてほしいよね。まあ、かく言う私も、こうやってクズ情報大量に垂れ流してるから人のことは言えんけど(笑)。まあ、こんなものでも楽しみに読んでくれてる人がいるってことで、これもささやかな使命感から。
でも、ワープロの登場以前、ノートに手書きしてた頃からこの日記のメインはレコード評で、当然「ひとりごと日記」もそうするつもりだった。ところがご覧の通り、最近それがほとんどないですねえ。確かに書きたいと思うほど感動するレコードがないのも事実だけど、実は私のリビューはけなし評のほうがおもしろいという話もあって、ほんとは書きたいんだけど、それができないのは主としてビジネス上の理由(笑)。やっぱり自分が売ってるバンドの悪口は書けないしねえ。
だいたい、読者の存在を意識しちゃうとなんであれ書きにくい。(Mansun日記はそれがなかったからおもしろい)
それに書くときのスタンスでも迷う。なにしろ私は今では音楽評論家(私はレコード評でお金もらったことは一度もないが、なんであれ30年以上続けていれば専門家になってしまうものなのだ)兼、商売人兼、ただのファンと3つまたかけてるから。最近は商売人の目が先に立ってしまう傾向があるし。というところで、Tearsのアルバム評も商売人として始めさせてもらう(笑)。
はい、これはお買い得ですよ。なにしろこの道の名人2人ががっぷり四つに組んだ力作。最近の「UKブーム」でイギリス音楽に興味を持った人は、ハンパな新人よりこれを買うといい。単位時間の情報量はめちゃくちゃ多くて、コスト・パフォーマンス最高だし。
というのは、商人の調子がいいだけの売り文句(笑)。一方、筋金入りのSuedeファンのひとりとしての感想は‥‥
シングル“Refugee”を聴いての印象はアルバムには当てはまらなかった。あのシングルだけ聴くと、「まるでBrettのソロ」、良くて「“New Morning”の延長線」という印象だったが、どうしてどうして、この「再結成Suede」、ちゃんと昔のSuedeの音がしている。(これはTearsでSuedeじゃないだろうって? いや、これはSuedeです。私の耳がそう言ってる)
だいたい、こういうベテランの久々のアルバムというと、いい意味でリラックスした、肩の力を抜いたものになるのが普通だ。Brettとしても、これがSuedeの新作なら、いやでもプレッシャーと責任感じるはずだが、Tearsならそんなの気にしないですんで、気楽にやれるはずだし。
ところが聴いてびっくり、両氏とも、リラックスどころか、かなり力こぶ入ってるのだ。ていうか、これだけできるなら、お2人の前のアルバムはなんでああだったのかと文句を言いたくなるぐらい。
ははあ、これはあれだ。6月18日に書いた両者の確執と緊張状態、あれがいい意味で影響したと見た。つまり、2人ともとにかく音楽では相手に負けてはいられないのである。特にBernardはここで負けたらあとがないって感じもするし。そうなると、つられてBrettも熱くなってしまったというところか。とにかくBernardとしては、この10年の不遇と、その間に積もり積もったうらみつらみのありったけを、すべてギターに注ぎ込んだという感じ(笑)。
Suedeファンには常識だが、Anderson=Butlerの魅力は、ボーカルとギターの火花を散らす掛け合い(というか、ほとんどケンカ)にあった。Bernard
Butlerはボーカルパートだからといって、おとなしくリズムを刻んでるようなギタリストじゃない。特にライブで顕著なのだが、歌のパートになるとかえってヤケクソみたいに弾きまくって、「うるさい!」と言いたくなるほど(笑)。歌ってるBrettのボーカルにネチネチとしつこくからみつき、ほとんど歌を圧倒するようなギター、あの壮絶なバトルが、Suedeに一種異様な緊張感と、スリルと、色気を与えていたものだ。
で、あれをそのままやってる! それだけで私はいきなり時計が10年巻き戻ったような気がしてじーんとしてしまう。(もしかしてソロやなんかでもやってたのかもしれないが、気に入らなくてろくろく聴いてない)
確かにBrettは年とってかなり丸くなったので、完全に昔のままじゃないのだが、Bernard
Butlerの怨念いまだに衰えず(笑)って感じはする。よってBrettが完全に主導しているんじゃないかという予想は完全に外れ。むしろBernardの存在感のほうがはるかに大きい。特に、このところ、アコースティック中心になってきていたSuedeを聞き慣れた耳にはすごく新鮮。とりあえず、これだけでも私は満足だ。
それと、聴きながらもうひとつ思い出したが、ここんとこ、Suedeにあの妖しい色気がなくなったと嘆いていたが、実はあの色気は、どっちかというとBernardがもたらしていたんだということ。
しかし、10年のブランクをものともしないぐらい、ぴったり息が合ってるのには驚く。というか、この2人はある意味、お互い同士のために作られたような不世出のコンビなのだというのが、あらためてよくわかる。ロック史にはLennon=McCartneyに始まって、名コンビが数多くいるが、Anderson=Butlerもまさにその一組。
その2人が犬猿の仲ってところがまた皮肉なのだが、仲良きことは美しき哉、じゃなくて仲悪いのもかえってプラスに作用することもあるんだなー。これがこの2人の醸し出す、独特のケミストリーなのだ。
つくづく思うんだが、ここまで激しいライバル意識って(Brettのほうはそうでもないようだが、少なくともBernardは)、これまた一種の愛情なんじゃないかと(笑)。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
とまあ、ここで美しく終われるといいんだが、どうしても苦言も言いたくなってしまうのが悪い癖。演奏はすばらしいよ、演奏は。だけど‥‥
これは私の印象だが、男の子は(ボーカルを含めた)プレイ内容を聴き、女は曲で聴くという傾向があるように思う。ダンスミュージック・ファンに女性がほとんどいない(少なくともうちのお客さんでは)というのもその証明と思える。かく言う私は女としてはかなり男性的な聴き方をするほうだが、決め手はやっぱり曲。早い話がどんなヘボ・バンドでもアルバムの中に1曲でも忘れられない曲があればいい。
そこで、ここに“Drowners”や“Animal Nitrate”や“Introducing The Ban”や“Killing
Of A Flash Boy”みたいな(適当に思いついたのを並べただけ。もちろん名曲はほかにもある)、魂を震撼させるような曲がただの1曲でもあれば、私はなんの文句もなかったのだが、残念なことにそこまでいいと思った曲はない。
同様に、Bernardが抜けたあとのSuedeに、「こんなのSuedeじゃない!」と文句を言わなかったのも、“Picnic
By The Motorway”や“Europe Is Our Playground”のようなじわーんと泣かせる曲があったからなのに、それがここにはないんだよ!
Bernard以後のSuedeが弱体化したのは確かに事実だが、いつも言うように、バンドにはマジックがある。人が集まることで、その合計以上の力を出せるものなのに、こういうバンドとは言えないようなバンドじゃだめなのかも。だからSuede解散するなって言ったのに。
いちばん気になるのは、やはり生まれ変わった清く明るくたくましく、ポジティブなBrett。私としてはこれはこれで「成長」として肯定してたんだが、Bernardが昔のまんまなので、よけいその違いが気になる。だから、好きな曲も、“Brave
New Century”のような暗い感じの曲。ていうか、暗いのってこれ1曲だけじゃない? やっぱ怨念なくしちゃいけないなー、きみは。一生日陰者の隠花植物でいいんだよ。少しはBernardを見習いなさい(笑)。
ついでにBernardもいつの間にか身に付けたカントリーっぽさがいや。
まあ。嫌いと言い切るにはいいところがありすぎるんですけどね。とにかくBernardのギターは圧巻だし、久々にBrettの歌声聴くとやっぱり涙が出るほどいいし。とにかくこれのライブはおそらくすごいいいよ。絶対見逃す手はない。
ああ、なんか落ちがつかなくなってしまったので、ルックスの話でもしよう(笑)。いや、かつての「世界一美しいバンド」Suedeとしてはルックスも大事。Suedeのリビューでこれやらないわけにはいかないでしょ。〈だからSuedeじゃないってば!〉
で、やっぱりほっんとーにいい男だなー、2人とも。ブックレットの写真見ただけで惚れ惚れしちゃうわ。
いや、私は長髪が嫌いなので、Suedeにいた頃のBernardのことはなんとも思ってなかったんだけどね。その後髪切ったのを見て「しまった!」と(笑)。ここでは前髪長くのばしているのがすごいすてきだし、Brettもまたちょっと髪がのびて前よりかわいくなったし。
だいたい、この2人はルックスも同じようなタイプ――長身痩躯、黒髪、どっちかというとかわいい顔立ちなのに底なしに暗い絶望的な表情――だし。ちなみにStrangeloveのPatrickがこれまたまったく同じタイプで、私が最初に惚れたのもそれが原因。
それにくらべて、Richardはこれとは対照的にちっこくて丸くて金髪にバラ色のほっぺだったので、Richardを初めて見たときは、なんかBernardとは正反対のタイプを選んだのかと思ったぐらい。(ちなみにMansunのPaulもこのタイプだが、私は本来前者のタイプが好み)
2人とももうけっこうな年なのだが、この手は年を取れば取るほど苦み走った味が出るし。ズズッ(よだれを拭く)。
もひとつ写真見ていて思ったのだが、Bernardってある種の女性にはたまらなく母性愛をそそるタイプだな。この見るからに暗くて傷つきやすそうな表情で、ふっと目を伏せてみせるあたり。私はいい年こいてわがままな甘ちゃんの男は嫌いなので、お呼びじゃないが。(ちなみにBrettもまったく同じタイプだが、こちらはヨシ) 〈何がヨシなんだよー!〉
同じバンドで長年いっしょにやってると顔まで似てくることがあるが、この2人なんて最初から兄弟みたいに似ている。やっぱり同族嫌悪だな。
余談その2。これ書いてて思ったのだが、(これまではどうしてもSuedeサイドからしか見られなかったのだが)、Richardが自分の後釜に座ったときのBernardの気持ちもわかるような気がする。なにしろ16才の天使面のネンネだからね。人一倍プライドと自己評価の高いBernardとしては、「なんでこんなやつが!」と血管の1本や2本ぶち切れただろう。(もちろん自分からやめたんだけど) Suedeに対する彼の恨み節にはこういうのも含まれてるのかもしれない。
捨てられた女の恨み節みたいなもんですか。〈どうしてもやおいにしたいらしい〉
で、「Tearsには今後も期待!」と言いたいところだけど、たぶんアルバム1枚で解散するでしょう(笑)。Bernardが新バンドを組むたび、私はそう言ってすべて当たってるから(笑)。だから難儀な人たちだって言ってるのよ。
私としてはBrettがBernardをうまく操縦して、(どうやら彼の活力の源らしい)不機嫌さは失わず、なおかつ辞めると言い出さないぐらいいい気分にしておいてくれると助かるのだが。まあ、Brettにはそこまでする義理も必然もないことを思うと、やっぱり前途多難かなー。ついでにBrettはまた不幸になってくれると私としては大変けっこうなのだが(笑)。
あいかわらず不景気で、爪に火をともすような貧乏生活が続いてます。かろうじて、UNKLE(これだけはいつどんなときでも売れる)のおかげでどうにかかつかつ食べてる感じ。UNKLE大明神様々だわね。まあ、ほとんど働いてないのだから文句も言えないが。ニートたらなんたら、人のことは言えないっすよ。自分がそうだから。(違いは高学歴ってとこだけ)
しかし、単なるなまけ者という以外に、なんで私が定職と社会的地位を投げ打って、フリーになったのか、皆さん、不思議に思うでしょう。と思ったら誰も訊いてくれない(笑)。というのも、大学関係者は「訊かなくてもわかる」って感じで訊いてくれないし、他業種の人は遠慮してるのか、訊いてもわからない(実際、こちらも部外者には説明のしようがない)と思ってるのか。だから、ほんとは私もあまり言いたくないのだが、ちょびっと書いてしまいます。
前に、この日記で、エリート・キャリア・ウーマンが、仕事や私生活のストレスからだんだん気が変になって、ホームレスにまで身を落とすという小説の紹介をしたら、女性中心に意外なほど反響があって驚いたことがある。その中で、気がおかしくなる徴候のひとつとして、遅刻するのが恐ろしくてタクシーで通勤するようになるという場面があった。
実は実生活でタクシーで通勤している大学教授を二人知っている(いた。ひとりは故人だが、ややこしくなるのですべて現在形で書く)。お二人とももちろん頭が変なわけじゃない。もう若くもなく、病気持ちで、なのにあまりの過労のため、重いカバンを持って歩くことすらままならず、やむなくタクシーを使っているのだ。もちろん大学教授の給料というのはそんなに高くないから、そのタクシー代を捻出するため、こんなボロボロの状態でも、さらに仕事を増やさなくてはならない。
辞めなければ私も必ずそうなっていた。実際、通勤はどうにかこなしたものの、営業などの出先では倒れそうになってタクシーを(自費で)使うことも多かったし、駅からの帰り道、ほんの5分の距離なのに、途中どこかで座って休まなくてはならなかった。
歩けないほどの過労ってめちゃくちゃですよ。しかもその状態で、人の倍ぐらい働いてるんだから。しかもお二人とも、そんな苦労はまったく表に見せないので、親しい人以外は誰もそんな状態だとは知らない。亡くなられた方もまさにそれが原因だと思うので、それもそもそも私が仕事を辞めるきっかけになった。仕事のために死ぬのだけはやだと思って。
要するに彼女ら(二人とも女性)と私の違いは、彼女らが人一倍、仕事に対する責任感と義務感が強いのに、私にはそんなものはまったくなかったというだけ(笑)。
もちろん、そこまで自分に鞭打って働くには、彼女らには彼女らの事情があるのだが、私の数少ない大学の交友関係の中で、二人もというのは多すぎる。サラリーマンにタクシーで通勤する人ってどれぐらいいるんだろう? 過労死があるからには、当然そういう人も多いんだろうが、これほど多くはないっていう気がする。また、小中高の先生は大学教授よりさらに仕事量が多いから、これよりもっとたくさんいるはずだ。
なんでなのかと考えたが、思いついたのは、教師というのは男女が完全に平等な数少ない職場だということ。つまり人並み以上に多い仕事も男性とまったく同じにこなさなくてはならないのだが、女性はその他に家事労働もこなしている上、やはり体力的に男性には劣るので、そのひずみがのしかかっているのではないか? ということは外資系の一般職女性なんかも同じ状態なのかもしれない。
とにかく私の知ってる仕事の形態というのは、「倒れて死ぬまで働く」か、「こうやって一日中パソコンの前でぼーっとしている」のどっちかの両極端なので、とても私には仕事について語る資格はないのであった(笑)。
でも世の中には、ほどほどに働いてちゃんと給料もらってる人もいるんだろうなあと思うと、ちょっとうらやましい。ほとんど働かなくて高い給料もらってるやつもいると思うと、ぶっ殺してやりたい、じゃなくてすごくうらやましい(笑)。
でもこういう暮らしは金はないけど心は豊か‥‥でもないんだよなー(苦笑)。細かいお金のことであくせくしなきゃならないのは情けないし、神経すり減るし。でも、毎日発送で郵便局へ行ったついでに、隣の動物園で「オタリアの餌付けショー」を見るという暮らしも、悪くないかなと思っている。
ちなみに、これは単に1日2回、飼育係がエサをやるのを見せるだけのものだが(笑)、巨大な海獣がしぶきを立ててエサを奪い合うのはなかなか見応えがある。わざと派手な動きが見れるように(オタリアの運動不足解消のためか?)遠くへ魚を放ってやるのだが、3頭いるうちの2頭は水の上に躍り上がったり、派手に水に飛び込んだりして観客の期待に応えてくれるのに、1頭だけは飼育係の立っている踊り場の下から動かず、じーっと水中に潜ったままである。そいつだけ飢えさせるわけにもいかないので、飼育係はときどき下にも魚を落としてやるので、なんの労力もなくエサにありついている。ある意味、こいつがいちばん賢いのかもしれない。見ていて私みたいなやつだと思った(笑)。
早稲田に仕事に行ったらビル・ゲイツと鉢合わせした。いや、現物は見えなかったのだが、すごい人だかりで。みんなそんなに好きかー、ビル・ゲイツ? 私は「ビル・ゲイツの顔にパイをぶつける会」ならぜひとも参加したいが(笑)。(「殴る会」でもいいが、殴るほどの個人的恨みはないので) だって、マイクロソフト嫌いなんだもん! 要するに有名人ならヒーローってわけで、なんかそれってすごいアメリカ的な考え方で嫌い。
天皇がサイパンへ行って、韓国人慰霊碑に参拝したりしているのは、もしかしてアホな政治家の尻ぬぐいだろうか? えらい、というか、日本の政治家はまったく外交の役には立たず、こういう人々はこういう役にしか立たないのだから、もっと積極的に親善外交をするべきだと思う。たとえば中国へ行って、反日デモをやってる人たちに直接話しかけるとか。大勢の人が天皇の名のもとに死んだことを思えば、それぐらいの身の危険は冒してもいい。
しかし、ここまで政治家が無能(なだけじゃなくて害悪)だと、いっそ君主政治に戻した方がいいんじゃないかっていう気がしてくる。こういう人たちは本来育ちがいいので人がいいから、政治家みたいに賤しい根性ないし。あ、でも人がいいからだまされて利用されちゃうのか。
| 広告 | 花 | 無料レンタルサーバー ブログ blog | |