2005年12月の日記

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2005年12月2日 金曜日

 天気予報じゃ寒波襲来とかなんとか言ってるが、東京では数日前から落葉が始まったところで、どう考えても秋って感じ。なんか実感ないなー。うちなんかまだ暖房なしだし。

 11月30日で隣のダイエーが閉店した。最初は「今でも店が多すぎるんだから、なくなってもどうってことないや」なんて思ってたが、やっぱりあるとないとではだいぶ違う。なにしろ玄関から徒歩1分で、雨でも傘もいらないところに大型スーパーがあるというのは便利だった。文字通り「うちの冷蔵庫」で、買い置きなんかなんにもなくても、少しも困らなかったのに。
 それにダイエーの商品は本当に魅力がなかったのだが、やっぱりここでしか買えないものもあって、それがなくなると困る。何かっていうと、一人用の鍋物セット(笑)。かんたんだし、栄養満点だし、冬は鍋に限るんだが、ひとり者だとなかなかむずかしい。私はここの寄せ鍋が好きでよく買っていたのだが、魚が2種類とハマグリとエビとアナゴと白菜と春菊とネギと椎茸とエノキダケが入って、398円は本当にお得だった。これだけ普通に買いそろえたら2000円はかかる上に、毎日毎日煮詰まった鍋ばっかり食べなきゃならない。あと、野菜鍋というのもあって、私はこれを野菜スープ代わりに食べていた。野菜だけなのにダシがきいてて(もちろんタレ付き)うまかったんだ。なのになぜか、同じものがどこにも売ってないんだよねー。

 それでも閉店バーゲンには期待していたのだが、一度に全品半額とかやるんじゃなくて、一か月前から仕入れをやめ、売れ残りを少しずつ安くする形であんまりメリットはなかった。それでも普段着を8割引とかで買ったけど。しかし、棚が少しずつ空っぽになっていくのを見るのはなんか寂しい。大きいだけによけいガランとした感じになって。
 しかし、家にいても静かだ。前は夕方や週末になると、ワイワイガヤガヤすごい騒音で、子供の歓声とかが響いて、ディズニーランドみたいだったのが、シーン。ありがたいけど、なんか寂しい感じもする。
 予想外だったのは、ダイエーの前の通り、ここは駅からうちのマンションの玄関へ向かう道でもあったのだが、これがダイエーの私道だったらしく、フェンスで封鎖されてしまった。私はいつも裏口から出入りしているのであまり関係ないけど、夜でも真っ暗な閉鎖された通りはなんかわびしい。そういや、夜、仕事から帰ってくると、べつに買うものがなくてもまずダイエーに立ち寄ってから家に入るのが習慣だったけど、(よく、コンビニでそうする人がいるが、コンビニは非人間的で冷たい感じなので私はいやだ)、それもできなくなってしまった。
 あとは跡地が何が建つかだけど、マンションだけは建たないでほしいなあ。

2005年12月5日 月曜日

 ブルブル‥‥昨日は冷たい雨が降り続き、とうとううちでも暖房が入りました。でも、渋谷へ行ったら、雑踏や店の中はまた死ぬほど暑くて、結局、厚いセーターは着れない。

時事雑感 (いやな話ばかりでごめん)
子供の殺人

 こういう事件があるたびに、よく関係者が口にするのが、「よりによって、なぜなんの抵抗もできない幼い子供を」という決まり文句だが、それはもちろん殺人者も弱者だからである。犯人が強者だったら、近所の子供を殺したりはせず、アフリカにサファリにでも行って動物を殺すか、東南アジアで幼児買春(これも犯罪だが)でもするだろう。それができないから自分より弱い者を殺す。
 新聞で、「最近の子供の殺人」のリストを見たのだが、犯人の職業は決まって無職か、肉体労働者だった。もちろん例外は必ずあるが、ほとんどあらゆる犯罪の原因は貧困と無教養なのだ。
 いや、肉体労働者を差別する意図は毛頭ない。もちろん貧しくても立派な人は大勢いるだろう。でも、まさに貧困層に相当する私だから言えるのだが、金に困ると、ろくでもないことを考えたり、やけっぱちになったりするやつも大勢いるのだ。これまで日本が世界一安全な国だったのは、国民総中流で教育程度が高かったことと無縁ではあるまい。「貧しくても魂は清らかで心豊か」というのはもう昔の話になってしまった。というか、当時の日本人はみんなが貧しかった。問題は貧富の差なのである。
 なのに、現在、教育現場は崩壊し、貧富の差のある社会が到来しようとしている。残念ながら、このままでは日本が欧米並みの犯罪大国になるのは時間の問題だろう。この二つはいくらでも防ぐ手だてはあるのだが(教育の充実、税制の改革などで)、日本政府はむしろそれを望んでいないようだ。ニートや引きこもりの若者を保護し養ってくれる親がいなくなるころには、この国はどうなってしまうんだろう?

 学校と言えば、何も自分も教師のはしくれだから言うわけじゃないが、子供の事件があると必ず学校や教師の責任が問われるのはどうかしている。今でさえ、小学校の先生は過重労働を強いられている。こういうことがあると、その仕事がまた増える。これが続けば、まず間違いなく先生のほうが崩壊する。(すでに崩壊している人も多いが)
 これまた今日の新聞に、「教育費の国庫負担を減らし給与が安くなれば、本当に熱意のある人しか教員にならなくなるのでよい(55才男性)」という読者の意見が載っていたが、何をバカなこと言ってるんだ! 給料安くてキツくて責任だけ重い仕事に、多少なりとも頭や能力のある人が来るはずがない。(自衛隊を見よ) そうなれば、教員は他の職業にはどれも就けない低能で無気力な落ちこぼれだけになるだろう。そういう人に自分の子供を預けたいんですか、あなたは?
 私見を言わせてもらえば、教育にはどんなにお金をかけてもかけすぎということはない。ただし、現場の教師の自由を増やし、やりたいようにやらせること。それしかないのに。

 それでもなお、こういう事件が大々的に取り上げられるほど安全な国に暮らしていることを喜ぶべきなのかも知れない。アメリカでは牛乳パックに子供の顔写真が印刷されているという話を聞いたとき、私は心底ショックを受けた。それだけ行方不明になる子供が多く、警察は頼りにならないので、藁にもすがる親が載せるのである。それでそういう子供たちのほとんどが殺されるか、幼児買春組織に売り飛ばされているのだ。その顔を毎朝、牛乳飲むたびに見るのってどんな気分だろう? もちろんアメリカでもイギリスでも学校まで親が送り迎えするのは当たり前である。
 それにくらべて日本はまだまだ安全、と言いたいが、そうなる日も遠くはないだろうな。

再び耐震偽造マンション

 ニュースを見たり読んだりしていて、「なんか変」と思うことしきり。たとえば、姉歯じゃない新築マンションを買った人の話。「構造も自分の目で確認して、詳しく説明してもらったので安心です」って、あんた、プロが見ても偽造が見抜けない構造設計書を読めるんかい? まして不動産屋なんて、売るためならどんなことでも言うのは経験済み。
 私が見て回ったマンションの中には、(なにしろ予算が乏しくて安くてボロいのばかり見せられたので)、素人目にも「これって欠陥じゃないの?」というのがけっこうあったのだが、それを言うと、まあ調子のいい嘘ばっかり並べ立てるんだ。不動産屋の言うことを信頼したら大間違い。
 おまけに、たとえ設計書はちゃんとしていても、実際その通りに建ててるかどうかなんて、建築現場に通い詰めて、コンクリートの量や鉄骨の厚みを自分で測らなくちゃわからない。要するに、欠陥かどうかなんて住んでみるまでわからない、まして耐震強度なんて、地震が来てみなくちゃわからないってこと。バクチみたいなもんですな。

 よって、そういうマンションを引き当てた人は、バクチに負けたことになる。そういう人のために、公金を使うというのはどういうものか? 石原知事は、都営住宅の無料提供に難色を示しているが、この男と意見の一致することがまずない私もそれは当然だと思う。都営住宅は家賃の支払いにも困る貧しい人のためのものである。しかも入居待ちの人が大勢いる。5000万円のローンが組めるほどの金持ちになんでそれをただで提供しなきゃならないのか。建て替え補助にしても阪神大震災で家を失った人(もちろん他の欠陥マンションや一戸建てを買った人も)のことを思えば不公平だ。

うちの場合 

 ところで、これはこれからマンションを買う人の参考になるかもしれないので、うちの場合の反省点を書いておこうか。
 もちろんそんなわけで古くて狭くてボロい中古マンションを買ったので、不具合があるのは承知の上だったけど、入居してからわかった欠陥もいろいろある。

 その1。相場の上下。これがいちばん大きい。当時はバブル崩壊後しばらくして、不動産価格が下がり始めたころだったのだが、「今が底値」という不動産屋の言葉にだまされた。私が築15年、2LDKのマンションを買った値段で、今なら新築の4LDKが買える。売ればたぶん、購入価格の半分にも満たない。もちろん、先のことは不動産屋にもわからなかったはずだが、わからなくても絶対にわからないとは認めない。

 その2。古いマンションは保守・修繕費がバカ高い。去年も3億円かけて全面修理をしたばかり。これが一戸建てなら、私なんかは「住めりゃいい」とばかりにほうっておくところだが、共同住宅だとそうはいかない。まあ、修繕計画はきちんとしているので、毎月の積立金でまかなえたけど。

 その3。水道の水の出が細い。これはべつに困るほどじゃないが、なんかイライラする。特にトイレが細くて、一度使うとタンクに水がたまるのに20分ぐらいかかる。排水が悪いのも同じ理由らしい。外部の水道管は全部取り替えたばかりだし、配水管の洗浄は毎年プロの水道屋が来てやってくれるので、どうやら戸内の管が詰まっているらしい。これを取り替えるには壁を崩さなきゃならない。

 その4。換気扇が効かない。これもうちのがボロいだけかと思っていたら、他のお宅もそうだそうで、どこかが詰まっているらしい。これは直してもらえるかもしれない。ちなみに換気扇の検査も毎年やっているが、検査員は何も言ってくれなかった。私は魚を焼いたりするときは窓を開け放ってしている。

 1と2はともかく、3と4は前に住んでた人も不動産屋も何も言ってくれなかった。教訓――水道と換気扇のチェックは必ずすること。これでもうちはいいほうで、水道管が完全に詰まってて建物中下水の悪臭のしているマンションもあった。

 逆に住んでわかったいいところも。

その1。管理人さんがいい。「マンションは管理を買え」と私も言われたが、それだって実際に住んでみなくちゃわからない。うちの管理人さんは、管理会社の社員なのだが、もう何十年もここに住み込んでいるので、住民の立場で会社に交渉してくれる。とても働き者で、早朝から深夜まで休みなく働き、つねに内外に気を配ってくれる。私なんかは女ひとりなので、何かにつけて頼りにしてお世話になっている。
 教訓――買う前に管理人とは必ずよく話して人柄を見ること。マンションの裏などの目立たないところの掃除が行き届いているかを見ること。

その2。冬あったかい! これはいつも書いてる通り。異常に断熱がいいのか、断熱が悪くて隣近所の熱が直に伝わってくるのか知らないが(笑)、(私はタバコを吸うので窓をいつでも開け放っているにもかかわらず)12月まで暖房いらず。今も小さなガスストーブ1つで、家中がポカポカと暖かく、Tシャツ裸足で平気なぐらい。日の当たる午前中は常夏気分。もちろん、トイレや風呂場が寒いなんてこともない。おかげで実家に帰るといつでもどこでも寒くて震える。
 夏もうちみたいに物がぎっしり詰まってなくて、風通しさえよければとても涼しい。(実際、越してきた当初は物が少ないので涼しかった)

その3。隣近所の音が聞こえない。集合住宅でいちばんいやなのは、壁一枚へだてただけの隣の音が筒抜け、または上下階の足音や物音がうるさいってやつだよね。集合住宅をいやがる人の言い分もたいていそれ。実際、賃貸に住んでたころの私もそれで悩まされた。マンションは言うに及ばず、一戸建てでも! なにしろペラペラの壁の木造で、隣と20cmぐらいしか離れてないから、隣の茶の間の団欒の声から何から、ぜんぶ聞こえてしまうのだ。賃貸マンションの5階に住んでたころは、1階のスナックのカラオケが深夜2時まで聞こえて気が狂いそうになった。
 ところがこのマンションにはもう10年ぐらい住んでいるが、ほかのうちの声や音が聞こえたことはただの一度もない。どっちかというとここでは騒音源は私のほうで、ステレオをかなりの音量で鳴らしているが、一度も苦情が来たことはない。断音効果は抜群と言っていいだろう。ただし、外の音は相当はっきり聞こえる。音は上に上がる性質があるそうで、これはどこのマンションでもそうみたい。
 とにかくこれだけのプライバシーは一戸建てでは絶対に望めない。あまりにシーンとしているので、本当に他に人が住んでるんだろうかと思うぐらい。

その4。これは悪い方のその2と裏腹だが、保守管理がしっかりしている。ひとりならとてもできない大規模な改修工事も集団の強みでできる。家の外の掃除や庭木の手入れをしなくてもいい(全部プロがやってくれる)のもいい。電気・ガス・水道などしょっちゅう検査があるのも安心。(マンションではガス漏れや水漏れや漏電があったら大変だから、検査が厳しいのである)

 とまあ、総合点で損はしなかったと思ってるし、今後もマンション以外に住む気はまったくありませんけどね、私は。

2005年12月11日 日曜日

 書きかけのディスク・リビューがたくさんたまってるんだけど、なんかいやなニュースばっかりで、のんきにこんなの書いてる場合じゃないっていう気がしてしまう。
 でもなんて言ったらいいのか。塾の女の子を殺した同志社の学生にしたって、異常性格とかそういうんじゃなく、単に心を病んだ人なのは明らかだし。多いんですよー、犯罪にこそ走らないけど、明らかに精神病んでる大学生。こういう事件があると、「子供の心のケア」というのがよく言われるが、大学生の心のケアも必要なのに、ほとんどの大学は相談窓口を設ける以外のことはしていない。もっともそれを言ったら、教師のほうがおかしい人は多いので、「教員の心のケア」も必要か。企業なんかじゃすでにやってるようだし。
 こう右も左も病んだ人ばっかりだと、そうでないほうが異常なような気がしてくるね。私なんか、この年でひとりぼっちで文無しで、社会的には立派な敗残者だし(笑)、大学でも口には出せないほどひどい目にあったし、辞めたあとも失敗続きだし、とっくにおかしくなっても当然なのだが、ぜんぜん平気なのは神経足りないせいだろうか?(笑) でも大学にいたときは、本気で「もしかして私のほうがおかしいんだろうか?」と思いましたよ。
 前にも似たようなこと書いたような気がするけど、今の時代、親になる人は大変ですねー。子供を守らなきゃならない一方で、子供が大きくなって人殺したりしないようにもしなきゃならない。そこまで行かなくても、(同世代の人の子供がちょうど大学生ぐらいになってるので)、皆さん、子供には苦労しているようです。
 私自身はもちろん子供はいないが、人様の子供を大勢見てきて(すべて18才以上だが、中味は本当にまだ子供)、やっぱり子供は親と家庭のあり方に大きく左右されると思った。問題児には問題親がいることが多いし、心を病んだ学生の親と会ってみると、素人考えにも「これじゃー、まずいよ」という態度や考えの持ち主だったりする。もっとも、非の打ち所がない立派な人の子供も変になったりするから、なんとも言えないのだが。
 親の態度の違いにも驚かされた。子供のためならどんな犠牲もいとわないと言う親がいる一方で、子供がヤバいことになって、心配して電話しているのに、「勝手にすれば〜?」みたいな態度の親もいる。子育てって、もしかしていちばんむずかしい仕事なのに、子供作るのは誰でもできるってのは変かも。親になる人には講習とか試験を義務づけたらどうか?

 休みの日とか、電車に乗ると家族連れを多く見かけるが、子供を見ているだけである程度、その家の子育てがうまく行っているかどうかわかる。きのう見かけた母子なのだが、子供がしつこくあれこれ訊ねるので母親がキレて、「どうしてあんたはどうでもいいことばっかり訊くの!」と大声で叱っていた。あー、違うのに! あの子は単にお母さんに携帯電話じゃなくて自分のほうを見てもらいたいだけなのに。あんなふうに叱ったら子供はますます疎外感を強めるだけじゃない。それで、その憂さを小動物や小さい子をいじめて晴らすようになって、長じては殺人犯になったりしても知らないぞ。
 落ち着きがなかったり騒いだりする子供はやっぱり何かを訴えているのである。逆におとなしいけど、妙な緊張感のある子供もいる。これは親や外界を恐れている証拠で、これはこれで問題がある。親のほうにも緊張感の漂う家族もいる。過保護なのか子供をかまいすぎて、子供が内心「うっせーな」とむくれているのが明らかな親子もいる。
 ほほえましい一家も見た。バスに乗り込んできたお父さんと3人の子供なのだが、ほほえましいと言っても、何ひとつ変わったところはない。でも変わったところがないというだけで今や希少種になりつつある家族。バスの運転手に質問するお父さんのていねいな言葉使いだけ聞いても「いい人だな」と思ったが、子供も、我先に空いた席に突進するようなことはなく、ちゃんとお父さんに「ここ、座ってもいい?」と訊ねる。座った子はおとなしくじっとしているが、子供らしく目はキョロキョロして好奇心いっぱい。ときどき兄弟でじゃれあったりしているが、大声をあげたり、とっくみあいをしたりはしない。何より円満な家庭の子はどこにいてもリラックスしていて、不必要な緊張や不安や興奮がない。こういう家族、そういえばあんまり見ないなーと思った。

 子供に限らず、大人もいろいろストレス抱えている昨今、私流の乗り切り方は、「何事もふつうに。あまり物事を気にしない」ということなのだが、いかがでしょう? と言うと、友達には、「あんた、十分ふつうじゃない!」と言われてしまうのだが。


 2006年ワールドカップの組み合わせが決まる。よっしゃー! これなら楽勝だ! スウェーデンがちょっといやだけど、日韓大会のアルゼンチンほどいやじゃないし、そのアルゼンチンは撃沈したんだし、2位までに入ればいいんだし。
 ‥‥と、もちろん私が気にしているのはイングランドのこと(笑)。とにかく少なくとも8強には入ってくれなきゃ許さない。
 え、日本ですか? あー、一次リーグ突破できれば立派なんじゃないですか? だって、前回16強と言っても、ホームだからねえ。特に慣れない高温多湿に外国選手がみんな苦しんでた中での成績だから。今回はそういう「まぎれ」がないぶん、順当に決まるんじゃないか。
 しかし、あの世界ランキングってでたらめだよね。スウェーデンが14位で日本が15位ってほんとかよ?って感じ。力の差はとんでもなく大きいと思うけど。

2005年12月12日 月曜日

こわい夢のはなし

 最近相次ぐ陰惨な殺人事件に心を痛めているせいか、すごくこわい夢を見た。目が覚めたときもまだ心臓がバクバクいって、「夢だったんだ」と自分に言い聞かせなくてはならないぐらい。特に私はなぜか大人になってからは悪夢というものを見ないのでけっこうショックだった。これも厳密には悪夢ではない。私がよく見るストーリーがはっきりした、長い映画みたいな夢の一種。
 映画だとしたらいかにもB級サスペンスで(笑)たいしてこわくないが、自分が映画の主人公で、これが現実だと思っているとものすごくこわい。いやな夢だが、いちおう印象的な夢は記録しておくことにしているので。
 夢の舞台はヨーロッパの地中海地方で、登場人物は家族も含めて全員西洋人で架空の人物。私も白人なのかもしれない。夢の私は若い独身女性で、会社に勤める平凡なOL。住んでいるのは海の見えるアパートで、現実の私の住まいよりずっと広いし、庭付きの1階だが、内部は妙に現実のうちに似てたりする。
 ちなみに夢でも英米人は英語を話すが、私がスペイン語やイタリア語を知らないせいか、この夢では全員が映画の吹き替えみたいに日本語で話していた。
 では始まり始まり。

 私は誰かに見られている、つきまとわれているという感覚に襲われる。はっきり誰がどうやってということはわからないのだが、身辺で、特に家にひとりでいるとき、不審な出来事が相次いで起こったのだ。(この辺もすごくこわかったのだが、詳細はすべて忘れてしまった。現実にも経験した夜中のノック、夜中にドアをガチャガチャやる音――この時も実際に警察を呼んだ――に始まって、ドアの前に不審物が置かれていたり、誰かが侵入した形跡があったりとか、その他にもいろいろあったような気がする)
 当然、用心深くなって外を歩いているときも気を配るようになったら、どうも不審者らしい男の存在に気付く。ぜんぜん知らない男だが、うちの近所によく現れ、離れたところからじっとこちらを見ている。見るからに目つきの悪い、こわい顔をしていて、恐怖感を与えるほど背が高い(190cmぐらい)若い男だ。
 こわくなって警察署に相談にも行った。でも、何も実害がなく、証拠がないのではストーカーとは言えないし、警察は何もできないと言われた。まあ、それも当然だ。「何かあったら至急連絡してください」と言われて帰る。
 しかし、その後も怪しいできごとが相次いで起きる。すっかり神経がズタズタになって、実家の両親に電話すると、「ちょうど休暇中だから、しばらく泊まりに行ってあげる」と言われる。やってきたのは両親と、小学生ぐらいの姪と甥、それに姪たちのベビーシッターの女性の5人。(5人も泊まれるなんてすごい広い!) いきなり家の中がにぎやかになり、恐怖感も去って私はほっとする。
 ところがところが‥‥(ここで映画ならホラー・ミュージックが流れる)

 ある晩、私が遅くなって帰宅すると、ドアを開ける前から何か変に胸騒ぎがする。そっとドアを開けると中は真っ暗で、誰も人のいる気配がない。すっかりこわくなってドアの隙間から首だけ突っ込んで、「パパ、ママ? いないの?」と呼んでみたが、もちろん返事はない。恐る恐る中へ入り、忍び足で部屋を見て回ったが、誰もいないし、特に異常も見あたらない。でもこんな遅い時間に、子供たちまで連れて外出するなんて絶対に変だ。
 ふと振り返ると、トイレのドアの下にたまっているあの黒いものは‥‥まさか! トイレのドアを開けたが、目に映ったものを理解するひまもなく、本能的にまたバタンと閉めた。見たと思ったものが現実のはずがない。目の錯覚だと、必死で自分に言い聞かせたが、その一方、理性はちゃんと見て確かめなくてはと告げている。しばらくためらったすえ、もう一度こわごわドアを開いて中を見ると‥‥(ここで音楽が最高潮に)‥‥ひとりが入るのがやっとの狭いトイレに、5人の人間が天井まで折り重なって積み上げられていた。というか、バラバラになった人間の残骸が。そして津波のようにあふれ出る血!
 でも、(ここのあたりがものすごくリアルで映画とは違うところだが)私は気絶もしなかったし、悲鳴もあげなかった。ただ、すごい吐き気がして、膝の力が抜けてしまい、(いやなのに)足下の血だまりの中にべたりとうずくまってしまった。
 でもとにかく警察に電話しなくてはと思って、這うようにして(おかげで全身血まみれになった)どうにか電話のところまで行ったが、手が震えて3桁の番号を押すことすらできない。何度も失敗してやっと電話が通じたと思ったら、出たのは「ただいま警察におつなぎしております」というテープの声で、人の声に代わったときは、うれしさのあまり気絶しそうになった。でも言葉がちゃんと出ない。かろうじて「人殺しです! すぐ来てください!」と言うのがやっとだった。電話に出た女性は私をなだめて、住所や名前を聞き出そうとしているのはわかるのだが、自分の住所さえちゃんと思い出せない。
 それでもどうにか話が通じて、ほどなく警察の一連隊がやってきた。でもそれまでは意識ははっきりしていたのに、警察が来てからは頭が麻痺したようにぼーっとなって、まるで夢の中の出来事のようだった。(実際夢なんだけど) そんなわけで、鑑識が来て写真を撮ったり、家族の死体が運び出されたりするところは断片的にぼんやり目に映っただけで、ただ毛布にくるまってじっとしていた。
 気が付いてみると、警察隊は去り、死体や血痕も消えて、私はひとりの刑事と向き合って話をしていた。この人が事件の捜査責任者らしい。(名前もあったのだが忘れた) ちょっとがっかりしたことには、この刑事はみすぼらしい身なりの小男で、まるで刑事コロンボみたいで、あまり頼りになりそうにない。こんな弱々しげな人が、凶悪な犯人と立ち向かえるのかしらと思ったが、まあ、刑事コロンボは見かけによらず有能だし、きっと頭はいいのだろうと思った。
 そんな物思いからはっと我に返ると、「犯人の心当たりはありませんか?」と訊かれていたので、例の若い男の話をした。詳しい人相も話すと、「調べてみます」とだけ言って刑事は帰っていった。
 推理小説とか読むと、こういうときは被害者には誰か付いててくれるはずじゃなかったっけ? 犯人がまた戻ってくるかも知れないのに、警備の人間も付けてくれないの? 凶行のあったアパートにひとり取り残されて、心細いことこの上ないが、まだ精神が麻痺してほとんど何も考えられないので、それももうどうでもいいことに思えた。

 こうして数週間が過ぎた。犯人はつかまらないが、私のまわりはいつになく静かで落ち着いていた。例のストーカーの姿も見えない。私は恐怖と悲しみのあまりまだぼーっとして、半分夢を見ているような気持ちで過ごしていた。あの刑事は何度も話を聞きに戻ってきたが、捜査は進展していないようだった。
 そんなある晩、いつものように刑事がやってきた。「手がかりらしきものを発見しました」と言うので、勢い込んで彼が持ってきた紙片をのぞいた。1枚は犯人の遺留品(そんなものがあったのも知らなかった)で、タイプで打たれた紙の切れ端だ。もう1枚も領収書か何かみたいなタイプされた紙切れ。刑事はそれを指さして、「ほら、明らかに同じタイプで印刷されたものです」と言う。
 確かによく見ると、変わった書体のフォントで、同じタイプだ。「でも、タイプなんて何百台も同じものがあるんでしょう? それが犯人のものだっていう確証があるの?」と言いながら、あらためて刑事が見つけてきたほうの紙片をよく見た。それまではフォントにだけ気を取られて文面は読んでいなかったのだが、書類のいちばん上に印刷された名前を見ると、Vladimir なんとか(名字は長くて複雑なつづりなので忘れた)と書いてある。「私、この人知ってます!」
 「何者ですか?」と訊かれたので、説明した。ヴラッドは私のメル友のひとりで、よくメールをくれる人だ。でもメールだけの付き合いなので、どこに住んでいるのかも、何をしている人なのかも知らない。刑事は「確かに同じタイプはたくさんあるかもしれませんが、犯人と同じタイプを使っている人間が、たまたまあなたの知り合いでもあるという確率はどのぐらいでしょうねえ?」と、いかにもコロンボ風に言う。
 犯人が見つかりそうだという喜びに圧倒されそうになったが、でも冷静にならなくてはと思って、「でも、顔も知らないんですよ」と言うと、刑事は「顔も知らないんですか。ほう、それは好都合だ」と言う。
 えっ、何を言ってるの? それってどういう意味? 私が混乱している間に、刑事の形相が一変した。それまでは無害で、どこにでもいそうな平凡な中年男と見えていた相手が、いきなり悪鬼のような形相に変わったのだ。それだけで私には察しが付いたのだが、彼は重ねて言った。「実は私がヴラッドなんですよ」 そして刃渡りの長い、ギラギラ光るナイフを取り出した。

 こういうとき映画では、主人公はぼやっとして犯人の口上を聞いている。私はそういう映画を見るたび、「それよかさっさと逃げろよ!」とイライラするのだが、生まれて初めて実際に体験して(夢だけど)、主人公の気持ちがわかった。頭だけは猛烈な勢いで回転しているのだが、また体が麻痺したようになって、思うように動けないのだ。だから、ヴラッドが得々として何かしゃべっている間も、どうすればこの状況(夜中に、殺人犯と二人きり)から逃げられるか、必死になって考えていた。
 玄関への廊下は長くて細いから、玄関から逃げようとしてもきっとすぐに追いつかれる。でも、庭側の大きなフレンチ・ウィンドウは鍵もかかっていないし、すぐに外に出られる。それに隣の住人は変な東洋の宗教に凝っていて、今夜は庭でパーティーだか集会だかを開いていたので、きっと人がたくさんいるはずだ。隣との間は低いフェンスで仕切られているだけなので、庭へ出れば助かる。
 そこまで考えたところでやっとエンジンがかかり、私は立ち上がって庭へ突進した。もちろんヴラッドはナイフを持って追いかけてくるが、急いでいるというよりはまるで猫がネズミをもてあそぶように楽しんでいる感じだ。追いつかれる前に庭へ飛び出し、隣の庭を見て、「助けて!」と叫ぼうとした。
 でも私の声は喉で引っかかって止まってしまった。そこには大勢の人がいた。あるいは、かつて人だったものが。無惨に切り刻まれた人体の残骸が、庭のいたるところに、そしてフェンスや樹木の上にまで引っかかっている。まさか‥‥あんな大勢の大人を‥‥全部殺しちゃったの? もしかしてこの近所で生き残っているのは私だけ?
 ここで私のなけなしの勇気と希望はすべて消え去り、また麻痺状態に戻ってしまった。そんな私を見てヴラッドがニヤニヤしながら、ゆっくり近づいてくる。もう逃げ場はないと知っているのだ。私は死を覚悟した。どうせみんな死んでしまったのだ。助けてくれるはずの警察が敵だったのだ。もう何ができるだろう?
 (ここがいかにも映画的で、演出っぽいところなのだが)そのとき、誰かがひらりとフェンスを乗り越えて庭に入ってきた。見ると、例の目つきの悪い若者ではないか。その男はヴラッドに飛びかかり、ナイフをめぐってつかみ合いになった。
 こういうとき、やはり映画ではヒロインはなすすべもなく格闘を見守っているだけだ。これまた私は、「見てないで加勢してやれよー」と思っていたのだが、実際には恐怖とあまりの急展開にあっけにとられて、ぼんやり見ている以外何もできない。
 二人はもみ合ったまま庭から外の小道へ転げ出た。小道は急な断崖の上にあり、そこに海へ降りる階段が付いている。そして二人はその階段をもろともに落ちていった。私はあわてて駆けだして下を見た。二人がもつれ合うようにして倒れて血が大量に流れている。恐る恐る階段を下りて近づくと、若者が立ち上がった。怪我はしているが無事なようだ。彼はヴラッドを見下ろして言った。「落ちた拍子に自分で自分を刺したらしい」 ヴラッドは死んでいた。

 その後、警察の調べで、ヴラッドが私の家族を殺した犯人でもあることが判明した。例の若者はなんの罪もない詩人だった。彼は私に恋して声をかけたいと思っていたのだが、内気でなかなか近づけなかっただけなのだ。命の恩人でもあるこの若者に、私も恋をしたことは言うまでもない。(目つきの悪い人はもともと嫌いじゃないし)
 (でもこのハッピーエンドで終わらないところが、いかにもB級映画ふうなのだが) ある夜、私は彼(名前が思い出せない)とのデートの帰り、歩いて苔むしたトンネルのようなところに差しかかった。すると、トンネルの出口に、他ならぬヴラッドが立ちはだかっているではないか。
 「そんなバカな! 確かに死んだはずよ!」と叫ぶ私。私をぎゅっと抱きしめ、身構える恋人。ヴラッドはトレードマークのナイフをぶら下げて、ニヤニヤ笑いながらブラブラと私たちに近づいてくる。「死んだと思ったのか? 俺は死なないさ、何があっても」
 トンネルの壁沿いに、何か重いものが入った小さい木箱が大量に積まれていた。私の恋人はその木箱をつかんでヴラッドに投げつけた。それはヴラッドの足下に落ちたが、今回は恋人がついているという安心感から私も加勢する気になった。私もまねして木箱を投げつけると、ヴラッドに当たって彼はぐらりとよろめいた。
 でもそいつは恐れる様子もなく平然と近づいてくる。私たちは立て続けに箱をぶつけ、とうとうヴラッドは箱の下敷きになって倒れた。こうなると、今度は家族を殺され、自分の命も狙われた恨みと怒りがどっとこみ上げてきて、私は重い箱に覆われてほとんど姿も見えなくなっているヴラッドの上に飛び乗り、思い切り飛び跳ねた。何かがつぶれるぐしゃっといういやな音がしたが、それにもかまわず、私は「畜生! 畜生!」と叫びながら、恋人に手を取られて引き離されるまで、狂ったように箱を投げつけ、踏みつけ続けた。
 やっと我に返った私と恋人は、倒れたヴラッドを覆っている箱をひとつずつ取りのけた。ところが、その下にあったものは、予想に反してつぶれた死体ではなく、平たく分厚い紙の束、ないしは本のようなものだった。私たちは思わず顔を見合わせ、そのとき新たな恐怖がじわじわを背筋を這い上ってきた‥‥

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 というところで目が覚めておしまい。いやー、本当にこわかった! 特にこのラスト、文字に書くといかにもB級映画の結末だが、あのときの背中がチリチリする感じ、常識がすべて覆されたときの、めまいがするような感じは目が覚めたあともずっと残っていた。
 とにかく驚いたのは、第一にこれだけ長い鮮明な夢で、最後までちゃんと筋が通っていること。確かにB級映画ふうではあるが、サスペンスもあるし、どんでん返しもあるし、脚本としてもそう悪い出来ではないのではないか。これだけのシナリオを寝ながら書いてしまうなんて、私ってけっこう才能あるかも(笑)。
 もうひとつは私の感じ方が異常なぐらいリアルだってこと。実際の殺人事件の被害者の恐怖の大きさが初めて実感できた。おかげで今後は殺人事件のニュースを聞くたび、前以上に心を痛めることになりそうだが。
 ヴラッドという犯人の名前は、「串刺し公ヴラド」(吸血鬼ドラキュラのモデルと言われる人物)から取ったと考えるのが普通だが、実はお店のお客さんにヴラッドという人がいて、最近よくメールをやりとりしているので、その人の名前を借りたらしい。実在のヴラッドはいい人だが、「メールだけで相手の素性は何も知らない」というインターネットのこわさもちゃんと取り入れられている。舞台が南欧なのも、こないだ来たセルヒオとの関わりがきっかけになっているのかもしれない。(ちなみに「恋人」役の人はセルヒオとはまったく似てない架空の人物です) 

2005年12月18日 日曜日

寒いのこと

 今朝は(っていうか今朝も)起きたらいい天気だったので、洗濯物を干そうと思って薄いパジャマのままベランダに出たら、瞬時に凍った。うっへー! 寒いー! 寒波ってこれのことか。っていうか、家の中にばかりいるとぜんぜん気付かないってところがすごい。窓開いてるんだけどねえ。とにかく、あまりに寒いので、コートを着込み手袋をして(だって濡れた洗濯物が冷たいんだもん)洗濯物を干すはめに(笑)。
 うちはまだ暖房なしだと言うと、「寒さに強いのねえ」と言われるが、違うんだってば。暖かいところにいるから、逆に寒さに抵抗がなくなって、私はものすごい寒がりなのだ。
 よって外出するときは、南極越冬隊のような服装に(笑)。でも電車が暑くてまた汗かくんだけど。

足が痛いのこと

 この寒さと、運動不足、体重増加、寄る年波がカルテットになってやってきたせいで、足がものすごく痛い。って言うと、いかにも年寄りじみてるけど、膝が悪いのは若いころからだ。それが四重苦でひどくなっただけで。本当は悪いのは膝だけなんだけど、膝をかばおうとして筋肉に無理な力がかかるせいか、膝から下がすべて痛い。
 痛いのは膝を曲げたり、体重をかけたりするとき。よって、寝転がってるとき以外はほとんどいつも痛い。でも見た目がそう見えないので、なかなかわかってもらえないのよね。
 というのも、歩くときは膝をできるだけ曲げないで足をまっすぐのばし、しかも足の筋肉をなるべく使わないように、お尻から押し出すようにして歩くといちばん痛くない。そうすると、すごく姿勢が良くなって、(ただでさえ長い足で早足なのに)さらに大またで早足にドシドシ歩くことになり、見た目、えらく丈夫そうに見えるのだ(笑)。大学なんかだと、(とにかく平均年齢が高い職場なので)今にも倒れそうにヨボヨボ歩く年寄りが多いので、よけい若々しく見える(笑)。
 ところが実際は、手で体重を支えながらでないと、椅子に座ることもできない。トイレでも(もちろん洋式。しゃがめないので和式は使えない)、手すりがないと壁に手を突っ張って体を引き上げないと立てない始末。
 床にものを落としても拾えない。柔軟体操みたいに腰で体を二つ折りにすれば拾えるはずだが、もともと体が固い上に、人より足が長いので届かない。したがって、床に腰を下ろすときなどは、自称「キリンの水飲み」、もっと正確には「ラクダのお座り」ふうに、そろそろと慎重に足を曲げ、最後はドタッとくずおれる感じになる。馬が座るときもそうだわね。ああいう足が長くて細くて(私は太いが)、体が大きい動物の苦労がよくわかる(笑)。
 膝が悪いと、急停止、方向転換もむずかしくなる。上記の理由で、歩くのは速いのだが、急に止まったり、向きを変えたりができないのだ。たとえば下り坂を歩いていて、急に自転車とかが飛び出してきても、膝に力が入らないので止まれない。人とすれ違うのに、ほんの一歩よけるのもむずかしい。おかげで都心の雑踏では人にぶつかりまくり。こうなってわかったのだが、若い奴はぶつかりそうになっても絶対に自分からはよけない。(特に渋谷のガキどもがひどい) 今まではつねにこちらがよけていたのがよくわかる。
 こうなったらこちらは一種の身障者だし、年長者に道を譲らないガキにむかつくので、平気で人にガンガンぶつかるようになった。なんかRichard Ashcroftになった気分(笑)。(“Bittersweet Symphony”のビデオのことを言っている)

 あー、しかし、いちばんいけないのは運動不足だな。もともと運動不足だが、寒いので外へ出たくないせいで、よけい運動量が減っているうえ、足が痛いのでなるべくじっとしていることが多いからだ。だからといって、運動しようという気を起こさないのもいけないが、区のプールで募集している「水中エアロビクス」でも応募してみようかな。

2005年12月26日 月曜日

 みなさん、クリスマスおめでとう! クリスマスはもう終わったって? 今日はボクシング・デイだからまだクリスマスなの! そういやきのうの晩外出したら、町ではもうクリスマスの飾り付けを片付けていた。気が早すぎる! イギリスじゃ1月いっぱい、下手すると2月までクリスマス飾りを付けたままなのに。
 何もイギリスと同じにする必要はないのだが、私は個人的にお正月よりクリスマスのほうが好きなので、勝手にイギリス流でやっている。
 で、クリスマスには何かちょっといい話を書くことにしているのだが、いい話なんてなーんもないので、自分のみみっちい日常生活について書く。

 暇な半失業者とはいえ、12月はそれでもそれなりに忙しかった。22日に大学が終わったと思ったら、いろんなCD屋でバーゲンがあるのでそれで駆けまわって、やっと休めたのは25日になってから。貧乏暇なしとはよく言ったもので、どんなに不景気でもそれなりに仕事はあるんだよね。オンライン・ショップは年中無休なので、買ってくれる人はいなくても、問い合わせのメールだけは毎日来るし。
 でも毎年、クリスマスの2日、正月の2日だけは何がなんでも休むことにしている。年間休日4日!(涙) 考えてみたら、教師というのも授業はなくても家でやる仕事がたくさんあるので、こういう生活をもう20年間続けてきたことになる。「じっと手を見る」の世界ですな。
 しかし、バーゲンまわりをしていると、つくづく時代の変化を感じる。ほんの5年ほど前なら、一日町をまわれば、50枚ぐらいのCDを抱えて帰ってきたのに、今は良くて10枚ぐらい。それだけ店や掘り出し物が減ったということもあるが、私自身が買い控えているせいもある。なにしろ買えば買っただけ赤字になると言ってもいいぐらい売れないから。おかげで自分のものも買えないので、よけい買う数が減る。
 はい、店は開店以来の危機が秋からずっと続いています。普通ならここらで何か考えなきゃいけない正念場なのだが、あせるとろくなことがないので、あえて正月が終わるまでは考えないことにしている。でも本当にこれじゃ暮らせないので、来年は大学の仕事を1日増やした。1年だけの契約で、わずか月5万の増収だけど、それでもないよりましだから。

 おかげで、まさに爪に火をともすような生活をしているわけだが、それでもクリスマスだけはささやかな贅沢をすることにしている。私の考える最大のぜいたくは働かないこと! よって、クリスマスはパソコンに極力さわらないで(結局無理だったけど)、家でのんびり好きなことをして、おいしいものを食べる。
 もっとも「おいしいもの」が宅配のピザってあたりが悲しいけどね(笑)。だって1枚2000円もするピザなんて、私には年に1度しか食べられない贅沢品なんです〜! でも食べてみたらやっぱりおいしいけど、2000円の価値はないなーなんて。なにしろこういうものは焼きたてがおいしいので、運ばれてくる間に冷えちゃったのを暖め直して食べるんだもん。やっぱり2000円の外食したほうがよかったかしらん? でも家でゴロゴロしながらカウチポテトができるのがポイントだしね。

 で、きのうはカウチポテトでディープインパクトが負けるのを見ることにしていた(笑)。はい、有馬記念でディープインパクトが負けるのは予想してました。とか、馬券も買ってないし、終わったあとに言うのはむなしいけど(笑)。
 だって、基本中の基本の負けパターンじゃない? 私は前に書いたようにこの馬があまり好きじゃないので、バイアスかかってるかもしれないけど、ちまたで騒がれるほど強い馬じゃない。見るからに線が細く、モロく、神経質なお坊ちゃんという感じで、「確かに速いが化け物みたいに強い馬じゃない」というのが私の診断。
 無敗と言っても、これまでの対戦相手はすべて同世代。年齢がどうこう言うより、限られた相手としか戦っていないということ。そういう馬が初めて歴戦の古馬と対戦して、しかも「いちばん強い馬が勝つ」有馬記念であっさり勝てるかというと、そうはいかないという例は山ほど見てきた。
 シンボリルドルフぐらいの怪物なら勝ちますけどね。ルドルフには及ばないというのは三冠だけ見ても思った。それで思い出したが、ディープインパクトってルドルフのライバルにして、1才年上の三冠馬だったミスターシービーによく似ている。線の細い感じと、後方一気の追い込みというレースぶりも似てるし。で、これまた一般人気は「シンザン以来19年ぶりの三冠馬」で、日本人好みの浪花節的心情にぐっとくるシービーのほうが高かったけど、私はシービーがきらいでルドルフが好きだった。そしてやっぱりシービーはルドルフにはどうしても勝てなかった。いろんな意味で、「ミスターシービー並み」の馬だと思う。(もちろんシービー同様、並みの馬ではないが)
 だいたい、こんな一本かぶりの本命買ったって、一銭にもならんのに(笑)。でもファンは買うんだよね。儲けのためじゃなく、単なる応援として。そういうときこそ、馬券師としては勝負どころだったんだが、前にも言ったように私は競馬は「引退」したので。
 だいたい、ディープインパクトが負けるのは予想していたが、じゃあ、何が勝つかと言われてもわからなかったし。2番人気のゼンノロブロイは、小さくて細いディープインパクトとは対照的な巨漢馬で、強そうではあるが、好みのタイプじゃないし。(結局馬も好みで選んでる)
 まあ、あとからなら何とでも言えるが、ハーツクライの優勝は納得ですね。たまたま今名前をあげた3頭はすべてサンデーサイレンスの子供なんだけど、この馬がいちばん父親に似て、バランスがいい。それに本命が危ないときは調子のいい馬を買えという鉄則から言えば、直前にジャパンカップであわやというところを見せたハーツクライでしょう。
 もともとシルバーコレクターの異名を取り、負けたから人気を落としたけど、負けたと言ってもハナ差。2400メートル走って10センチかそこらの差なんだし、馬にしてみれば勝ったか負けたかなんてわからないんだし(笑)。

 あとは、こないだ買ったばかりのジョージ・A・ロメロ“Day of the Dead”を見る。新作の“Land of the Dead”も自分へのクリスマス・プレゼントとして買ったのだが、そっちはまだ届いていなかったので。クリスマスにゾンビってのがなんとも(笑)。もちろんこれはレーザーディスクで持っていて、穴のあくほど見ているのだが、やっぱりDVDもほしかったのは、メイキングとオーディオ・コメンタリーが見たかったから。
 私は映画はまったくコレクションするつもりはないのだが、映画って、ディレクターズ・カットとか、完全版とか最終版とか、なんかやたらいろんなバージョンがあって困る。もちろんファンとしていちばんほしいのは、いちばん長いバージョン。特にロメロはカットされるのはスプラッタ・シーンと決まっているので、なんとしても無削除版がほしい。というわけで、LDはすべて無削除版を集めたのだが、同じことをDVDでやろうとしたら、廃盤はしっかりプレミア付いてるじゃないか。“Dawn”のディレクターズ・カットなんか1万円以上している。私はもちろんLDで持っているので、そんなのは買わないでじっと再発されるのを待つことにしている。
 しかし、こういう低予算映画のメイキングやコメンタリーは楽しい。なぜかって、スタッフ・キャストがみんな仲間で、家族みたいに和気あいあいとしているから。この人たちはみんなピッツバーグ出身なんだが、すぐにお国自慢が始まったりして。ゾンビに扮したエキストラを指して、「こいつは○○通りのやつだよね」、「そうそう」、なんて言われたって、誰それ?って感じで(笑)。
 ただ、ロメロのインタビューを見るたび気になっていることがある。彼のゾンビがすばらしいのは、他のB級映画にはない、高い精神性や社会性やユーモアがあることだが、彼自身はあまりそんなことを気にしてないように思える。むしろ低予算娯楽映画の職人に甘んじてるというか。それはそれで悪いことではない。職人に徹していても、才能はおのずとあらわれるものだからして。
 あと、ロメロという人は見るからに優しそうで善良そうな好々爺なので、それと極端な残酷描写とのギャップにちょっと違和感を感じていた。それはSFX担当のトム・サビーニの趣味ということはわかっていたものの、これを見ているとよくわかったのは、SFXに関しては血に飢えた(笑)サビーニの好きなようにやらせて、ロメロ自身は、「観客が喜ぶならなんでもいい」と鷹揚にかまえていること。なるほど〜。
 ロメロのゾンビに関しては他にもいっぱい書きたいことがあるのだが、それはまたの機会に。

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