2006年2月の日記

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2006年2月1日 水曜日

『グレムリン』の(フィギュアの)はなし

 あいかわらずのスカンピンで、餓死寸前の暮らしが続いています。それでも欲しいものがあると、どんなに高くても買っちゃうというあたりが、コレクター根性というか、失うもののない人間の強みというか、物欲の奴隷というか、単なるバカですけどね。
 もっとも私の場合、「どんなに高くても」というのは1万円以下だし、今回はCDじゃないです。言うと絶対笑われると思うんだけど、映画“Gremlins2”のフィギュア。2体で7500円。

 Joe Danteの映画“Gremlins”は1も2も、もう死ぬほど好き!というのは、ここには書いたことなかったっけ? とにかくオープニングからエンドクレジットまで、「かわいいクリーチャーがいっぱい出てきてギャーギャーはしゃぐ」映画が好きな人なら、カットごとに「やたっ!」と言ってこぶしを振り上げるぐらい、おたく心を刺激する映画。
 おっと、「おたく」なんて言うと、最近は「萌え〜」とか言ってる気持ち悪い男のことを指すから使いたくないんだけど、私は猫耳少女だのメイドだのは「何それ? ケッ! ぺっぺっ!」って感じだけど、ギズモ(主人公)ならいくらでも萌え〜!
 なんでこれがおたく映画かというと、作り手がおたくだから。SF映画ファンなら思わずニヤッとしてしまうマニア受けギャグ満載。人を笑わせようというよりは、自分が笑える映画を作ってしまうあたりもおたくだし、あのかわいらしいPhoebe Catesにああいうブラックなジョーク(っていうんだかなんだか)を言わせるあたりの毒気もおたくだし、自分の作った映画をパート2では徹底的にパロってしまうあたりもおたく。

 だいたい、私は人間より動物、動物よりクリーチャーの出てくる映画のほうが好き。映画に登場したクリーチャーの中で、いっとうかっこいいのはエイリアンだという話は前にしたような気がするけど、かわいいクリーチャーNo.1はこのギズモ! ファービーなんて単なるこれのまねっこで、ぜんぜんかわいくもなんともないじゃん!と、つい関係のない八つ当たりをしてしまう。

 そういや、日本人は世界にもまれに見る「キャラクター好き」の国民だそうだけど、私はキャラクターってやつが大嫌い。だいたいどこがかわいいのかわからなくて、これもぺっぺっ! Peter RabbitやWinnie the Poohは好きだけど(ただし、ピーターより「わるいうさぎ」、プーさんよりChristopher Robinのほうが好き)、あれはキャラクターじゃなくて、れっきとした芸術作品だし。
 ぬいぐるみや人形を集めたりかわいがる趣味もない。人の形をした人形は不気味でこわいし、逆にぬいぐるみはなんか哀れっぽい感じがしちゃって、それなら本物の動物を飼った方がいい。
 なのに、モグワイ(ギズモの種族名)だけは、かわいさ余って全肯定なんだよね。だって、姿がかわいいし、ムクムクした毛皮がかわいいし、声がかわいいし(実はギズモの声をやってる声優はムサいおやじなのだが)、言葉がかわいいし、仕草や性格がかわいいし! だけど、本物のモグワイは飼えないから、ぬいぐるみでもいいやというわけ。
 というか、映画のモグワイも、どこからどう見てもぬいぐるみそのもの。これならぬいぐるみで十分本物そっくりにできるというわけ。そういや、この映画もCG以前の映画で、よってすべて手作り。このレトロ感覚もいいよねー。これがCGだったら興ざめだ。
 だから、それなりにグレムリン・グッズを見ると気にしていたのだが、大量にあることはあるものの、どれもこれもぜんぜん似てねー! これのどこがギズモなんじゃい!という感じの商品多数で。そんな中で「いちおう形的には正しい」と思うものだけ買ってたけど、どれもビニール人形なんだよね。ギズモの魅力はやっぱりあのムクムクなんで、ムクムクのぬいぐるみで、本物そっくりなのがないかなーと捜していたところ、あった!

 

 これこれ、これでこそギズモ! これはヤフオクで見つけたのだが、この写真を一目見て胸がキューンとなって迷わず即買いでしたね。2体で7500円は高かったけど、でも1体が定価4800円で、生産終了品なんだから。

 それでこれが今日届いたわけ。見ると、箱から一度も出した様子がない。確かにこういうコレクター・グッズはそれが正しい取り扱いなのだが、私はぜんぜん平気。CDなら売るかもしれないからと言って、せっかく買ったのに未開封で持っている私も、これは売るつもりはないからね。でもベタベタいじくると、せっかくの白い毛皮が手垢で真っ黒になっちゃうだろうなと思って、箱に戻したけど、やっぱりベタベタいじくってしまった(笑)。
 ただ、針金で台紙に固定してあったんだけど、それは取ってやりましたよ。だって、針金で首と両足首を縛られて、これじゃまるでSMなんだもん(笑)。いくらなんでもこれじゃかわいそうだと思って。台紙がなくても、ギズモは立つけどモホークはひっくり返っちゃう。こういうのって、ひとりで立つようにできてるんじゃないの? やっぱりモホークは根性曲がりだな。
 そうそう言い忘れたけど、セットで買ったのは悪い子モグワイのモホーク。これも気に入った。普通はモグワイが変身したグレムリンを付けそうなものだけど、あれは典型的な小悪魔で、造形的にはあまりおもしろくない。それよりかわいいんだけど、意地悪そうなモホークのほうが好き。

 しかしよくできてるなー。やっぱり、こういうものに関しては日本の技術は最高だ。(もちろん作ってるのは中国だけど) 当然、グレムリン・フィギュアは欧米でもいっぱい作られてるが、みんな顔が変だもん(笑)。
 ぬいぐるみではなく(やっぱりぬいぐるみだとデフォルメされちゃうから)、ビニール人形に毛を植えたものなのだが、この毛の感触もいいし。それに映画のギズモは何体もあって、いろいろな表情をするが、私はこの表情がいちばん好き。なんかおっとりしてて、ちょっと困ったような、恥ずかしそうな顔つき。
 写真で見ると、顔の毛がずいぶん長くて目と鼻にかかっているが、説明書を読むと、これはハサミで好きなように刈り込んで、「自分だけのギズモ」を作るためなのだそうだ。でもこのほうがかわいいので、そのままにしておく。
 問題は置き場所だけ。けっこう大きくて、ほぼ実物大なんだよね。うちの飾り棚はいつの間にかボックスセットに占領されて満員だし。しょうがないから馬の置物(これも集めてる)をしまって代わりに入れるしかないか。

2006年2月9日 木曜日

 どうもです。貧乏暇なしとはよく言ったもので、大学は休みに入ったというのに、なんか最近働き詰め。仕事は大学の定期試験の採点と、原稿書きと、お店の接客。ああ、一時はもうどうなることかと思ったお店は、少ーしずつだけどお客さんが戻ってきましたよ。それでも食うや食わずの状態に変わりないけど。

 なにしろ、この不景気を脱するにはカンフル剤が必要だと思って、手持ちのコレクションから目玉商品を出しましたからね。Depeche ModeのX1ボックスの未開封新品。これの未開封はもはや絶対にどこにもないという自信があったのだが、私が未開封を入手できたのは見本盤だったから。Depeche Modeは昔は当然、通常盤と見本盤の両方を集めようと思っていたんだけど、このボックスはどうしても片方しか見つからなかった。
 どっちみち、Depeche Modeの完コレなんかあきらめたし、ハンパものを持っていてもしょうがないと思って売りに出したのだが、180ドルという私としては強気の値段を付けたのに、瞬時に売れたところを見ると、やっぱり安すぎたか。しまった! と思ったら、Xボックスは在庫がすべて完売してしまった。それも複数の注文が重なって。なんでお客さんって、みんな同時に同じものをほしがるのかなー? このボックスなんて、もう1年ぐらい店頭にあったものなのに。

 とか書いてたら、アマゾンからメールが来て、UNKLEのピクチャー・ビニール3枚組が80ポンド(16500円)だって! うそー! 冗談でしょう!(地団駄を踏む) これは発売当時、レコファンに3000円かそこらで大量に入荷して、私は「レコファンに入るようじゃ、きっと大量に生産されてどこでも安く買えるんだろうな」とは思ったものの、UNKLEだけは「義務として」3枚だけ仕入れて、3800円ぐらいで売ってたのだが、それをなぜか(ものすごく高い)航空便送料を払っても外人がみんな買っていってしまったので、「あれー?」と思っていたのだ。そういえば、ヤフオクでも10000円で売れてたなー。
 絶好の商機なのに「あれー?」とか言ってるようだから、儲からないんですね(笑)。まったくいつまでたっても商人としては一人前になれないな。

 そういうことをやるかたわら、また雑誌の原稿を書いていた。前にも書いた英語ムック『英語野郎』の原稿。私が書くものが気に入ってもらえたのか、毎号書かせてもらっている。今回(Vol.3)のは、大学生をネタにしたかなりヤバい笑える話ですのでぜひどうぞ。もっともヤバいと言っても、公共出版物に書くものはここに書いてるほどヤバくはないけどね(笑)。でもさすがに実名は出せないので、ペンネームにしたいんだけど、いい名前が思いつかなくて困っている。『英語野郎』をもじって「英語女郎」とかろくなのが思いつかない(笑)。
 ところでこの原稿料がこないだ振り込まれたのだが、それが8万円! かなりいっぱい書いたことは書いたが、私にとってものを書くのは呼吸するぐらい自然なので、他の仕事の合間にちょいちょいと書いて8万円! あれだけ苦労しても店の売り上げなんか1日千円もあればいいほうなのに! なんか本当にこの商売向いていないのかもって気がしてきますね。でもやってていちばん楽しいのはレコード屋なんだよね。これが本当の道楽ってやつか?

 それ以外の時間はもっぱらシムピープル。と言ってもゲームをしている時間より、よそのサイトを見て回ったり、サイトを更新している時間のほうが長い。私としてはいちばん書きがいがあるのがこれで、なにしろ反響の大きさが音楽の比じゃないから。世界的な広がりもあるしね。
 なのに、私のサイトは他はみんな英語がメインなのに、「シムじまん」だけは日本語オンリー。これは絶対おかしいというので、英語版を作っていた。ところがなんとこれが200ページ以上あるんだよね。ああ〜。

 おかげで最近自分はぜんぜん音楽聴く暇がない。自分用に買ったCDが封も切らずに山積みになっているので、大学の採点もやっと終わったし、これを整理したらまた書きます。

 あー、なんか今日は何が言いたいんだかわからないな。実は書きたいことはいっぱいあるんだけど、気が散って集中できないので、また後ほど。

2006年2月12日 日曜日

 トリノ冬季オリンピックが始まったが、私はオリンピックは大嫌いなので、「ダラダラ見ることはするまい」と心に誓っている。嫌いなら見なきゃいいのだが、あれって見始めるとついダラダラ見ちゃうんだよね(笑)。
 正確には、私はスポーツは好きだが、スポーツ選手や関係者が嫌いなのだ。頭悪いし性格悪いから! とか言うと、ファンは「そんな人ばかりではない」と言うに決まっているが、一般論として間違いなくそうだと言い切れる。(ちなみにうちの親父は元スキーのジャンプ選手である。頭は悪くないが性格は悪い)

 とか言いながら、開会式なんかついダラダラ見てしまった。もちろん、「くっだらねー!」、「意味わからーん!」と悪態をつきながらだが。まあ、開会式なんてみんなそんなもんだから驚かないけどね。
 でも、小野洋子が出てきたときはちょっと驚いた。およそスポーツともイタリアとも縁がなさそうなのになんで?と思ったら、“Imagine”の詞を朗読し(これだけ長く外国暮らしをしていても、発音うまくならないんだね)、それに続いてPeter Gabrielが歌う。
 要するに平和のメッセージなんだろうが、なんでオリンピックで? もちろん平和は大切だが、こいつらには言われたかねーよ! いや小野洋子やGabrielさんにじゃなくて、オリンピック関係者に。
 だって、スポーツって疑似戦争じゃない。勝った負けたの勝負の世界なんだから。おまけに最近は国威を競う場になってるし。本当に平和を願うなら、順位付けるのなんかやめて、みんなで楽しくすべるだけにすればいい(笑)。

 肥大化を防ぐとか言って、出場選手に実績を求める傾向もいや。下手くそな選手が出てこられないから(笑)。冬季オリンピックの何が楽しいって、派手な転倒シーンなので(笑)。それに弱い小国の選手がそれでも精一杯やってるのを見るのは楽しいしね。なのに、実績主義だと同じ国の同じような選手ばかりでおもしろくない。あと、うまい人ばかり見ていると素人にはその難度がわからないが、下手くそを見ると、「楽そうに見えるが、実はすごいむずかしいんだ」ということが実感できるというメリットもある。
 いつだったかのイギリスのジャンプ選手(イギリスには雪山なんかないんである。よってものすごく下手で、飛ぶと言うより落ちるだけなのだが、なぜかすごく人気があった)とか、ケニアの距離選手みたいなのがひとりでもいると、オリンピックも楽しくなるのに。

 話がそれたが、Peter Gabrielはしばらく見ていなかったので、すっかり年を取り、まん丸に太ってしまった姿を見ても、歌い始めるまで誰だかわからなかった。でも、この人は特に思い入れのあるミュージシャンなので、ちょっとじーん。
 しかし、こういうところでは普通、自国の歌手に歌わせるものじゃないかね? もちろんパバロッティは歌ったが、ポップ不毛の国というのがよくわかる。
 ついでに選手入場のときの音楽は、70〜80年代の世界的ヒットソング・メドレーだったが、そうするとかかる曲はすべてアメリカかイギリスのもの。なんかぜんぜんイタリアって感じしなかったす。それにまるでゲイ・ディスコにいるみたいな気分(笑)。ディスコ全盛期だからねえ。Depeche Modeとかもかかったけど、“Just Can't Get Enough”だし。

2006年2月13日 月曜日

映画評

Harry Potter and the Prisoner of Azkaban (2004)
Directed by Alfonso Cuaron

 こういう「まったく頭を使わなくてもいい映画」は楽なので、つい借りてきてしまう。いつも言ってるように、私がこのシリーズを好きなのは主演の子役3人がかわいいからというだけだが、そこにもうひとつ、「イギリスの名優が交代でゲスト出演する」というのも付け加えておこう。大好きなAlan Rickmanがレギュラー出演しているうえ、Gary OldmanとDavid Thewlisが出演する今回は、今までいちばん見応えのあるキャストで楽しめた。Gary Oldmanはまた悪役かと思ったら、実はいい人だったりするのもうれしいし。役者連中が「どうせ遊び」と心得ているからか、のびのび楽しそうに演技しているのもいい。
 ちなみにストーリーもこれまでの3作の中ではいちばんよくできていて、見ていても「あまり苦痛でない」。グリフィンの造形は「ちょっと」という感じだが、もともとが無理のあるキメラだからしょうがないか。
 でも話は例によってどうでもいいので、好きな役者の話を続けると、若いころはこすっからい悪党面だったGary OldmanとDavid Thewlisも(ちなみにAlan Rickmanは元からかっこいい悪党面だから好き)、年をとってきたら、味のあるいいイギリスおやじになってきたな。これからがますます楽しみ。
 年を取ると言えば、主演の3人組も年々成長するわけで、これは原作通りでもあるのだが、映画製作者としてはキツいところ。なにしろボヤボヤしてると大人になっちゃうから、あわてて続編を撮らなきゃならない(笑)。
 しかしこの年頃の子供の成長は早いもので、1の予告編を見ていたら、Daniel Radcliffeなんかまだ声変わりもしてないし、いかにも赤ちゃんじみた小さい男の子だったのに、いつのまにかすっかり「少年」になりましたな。もちろんその意味では1がいちばんかわいかったが、これからどう成長するかを見るのも楽しみ。

P.S. おっと、もちろんIan Brownには気付きましたよ。

The Village (2004)
Directed by M. Night Shyamalan

 “The Sixth Sense”のM. Night Shyamalan監督の作品だが、私はあのデビュー作も見てぜんぜん感心しなかったし、なんで騒がれるのかわからなかった。この映画はまあ、大好きなSigourney Weaverが出ているから借りてみたようなもの。

 でもなんにも予備知識なしに見たせいで(最近は映画情報なんて何も見てないし、ビデオ屋では監督名と役者名しか見ずに借りるので)、最初は「なんだ、なんだ?」と思った。
 アーミッシュみたいな服装の人々が、どこかの森に囲まれた村で、のどかで牧歌的な暮らしを営んでいる。でもアーミッシュにしてはなんか変だし、時代物なんだろうか? とりあえず、住人がひとり残らず、絵に描いたように「イノセント」なのが気持ち悪い。“Big Fish”の主人公が迷い込む村みたいなの。
 でも、周囲の森には「悪い生き物」が住んでいて、「掟」を守って森へ入らなければ、悪い生き物は村へは入ってこないと言いながら、夜通し見張りが立ってるし、肉を「生け贄」に差し出したりしている。ファンタジーなのか? それとも村中頭が変なキチガイの村なんだろうか?

 とにかく、この「楽園」が崩壊する話なんだろうなという予想は立つ。そして楽園を崩壊させるのは、「内なる蛇」と相場は決まっている。この場合、いわゆる「村の白痴」に当たる知恵遅れの青年Noah(Adrien Brody)がそれに当たり、「やっぱり」と思った。彼は思いを寄せている盲目の少女Ivy(Bryce Dallas Howard)が婚約を発表したことに逆上し、その婚約者Lucius(Joaquin Phoenix)を刺してしまうのだ。
 人々は村の外にある暴力と恐怖に怯えながら暮らしているようなのだが、他ならぬ村の一員、それもある意味いちばんイノセントなNoahが村に暴力を持ち込んだわけで、これをきっかけに見せかけの平和が内部から崩壊していく話‥‥なのかと思ったら、ぜんぜん違った(笑)。

 (以下ネタバレ。でも始まってわりとすぐにバレちゃうことなので、べつにいいかと思って)
 命は取り留めたものの、感染症を起こしたLuciusを救うために、Ivyは森を抜けて町へ薬を取りに行く。それで無事に薬をもらって帰ってめでたしめでたし。って、なんなんだー、これは!
 導入部が終わって、これから話が始まると思ったところで終わっちゃった感じ。オチがないやんけー!
 実はこの「村」は、近親者を殺され、アメリカの都会の暴力に嫌気がさした人々が、Ivyの父親を中心に作り上げたコミューンだったのだ。鳥獣保護区の中にあり、塀で囲まれて一般人の立ち入りは禁止され、誰もそこに人が住んでいることを知らない。
 大人たちはここに自分たちだけの理想郷を作り上げ、外の世界を知らない子供たちを無菌培養で育ててきたのだ。「悪い生き物」うんぬんは子供たちに外の世界の存在を知らせないための作り事で、大人が仮面を付けて扮していただけだった。
 よくある話だが、それはいい。でも脚本は穴がありすぎ! 恋人のために命をかけるIvyの愛と勇気に感動させようというのだろうが、よりによって盲目の少女をひとりで送り出す(エスコートの男の子を二人付けるのだが、二人は途中でおびえて逃げ帰ってしまう)親や大人たち(や逃げた男の子)はどういう神経をしているのか? もちろん大人たちは森に怪物なんかいないということは知っているが、彼らの考えでは怪物よりはるかに危険に満ちた町へ、なーんもわかっていない盲目の少女を送り出すなんて!
 だいたい、本当に彼女が町に行き着いたら、せっかく守ってきた秘密がバレちゃうではないか。道に迷って行き倒れるかもしれないし、穴に落ちて死んじゃうかもしれない(実際、Noahはそれで死ぬが、悪い生き物に殺されたことにされる)。Ivyの父親なり、Luciusの母親なり、大人が自分で取りに行けばいいじゃん。
 そもそも、この保護区はどうやらIvyの父親が所有しているらしい。(保護区の名前はIvyの名字になっているのでわかる) 当然ながら、税金も払わなくちゃならないし、これだけの設備を維持するためには外部との接触が断たれているはずはない。だったら薬ぐらいいくらでも取り寄せられるだろうが! これで秘密を知っている大人たちが死に絶えたらどうするつもりなのか?

 さっきも書いたようにこの手の話――子供のことを案じるあまり、大人が子供を隔絶した環境で育て、外の世界については嘘を教える――は山ほどある。でもそういう話はたいてい、子供が真実に気付いて、外へ出て行くところで終わるものだ。なのに、この映画では誰も何も気付かないまま、元のもくあみで終わる。これって完全なアンハッピー・エンディングじゃない。
 無菌培養のパラダイスは成立しないということがわかったあとでも、その失敗を何も反省しないし、これからも同じようにやっていくことが暗示されている。なーんか、後味悪いなあ。

 これを見て、真っ先に思い出したのは古屋兎丸のマンガ「エミちゃん」。(こっちもネタバレ) このマンガでも、世の中の悪や暴力に絶望した両親が、知恵遅れの娘を森の中の一軒家で育てる。ただ、違いはこの両親が完全に狂っていて(出会ったのも精神病院)、悪の根絶のために人類すべてを抹殺しようとしていること。マッド・サイエンティストの父親は、「人間をお花に変える」薬を発明する。なんかキノコの変種みたいで、胞子を飛ばして空気感染し、感染した人間は全身を冒されて死んでいく。だけど、両親は自分で人体実験をして、すでに死にかけているので、エミちゃんを町へ「お使い」に出すわけだ。エミちゃんが持っている袋に入っているのは死んだママ。(でも全身は重くて運べないので、手足を切断してある)
 それで何も知らないし理解できないエミちゃんは、両親の言いつけを忠実に守って町を目指すのだが、途中で幼女大量殺人犯と出くわして殺されてしまう。でも感染した男が町へ戻って、見事人類は滅亡し、平和な世界がやってきましたという、これまたすさまじいアンハッピー・エンディングだけど、不思議と感動的な幕切れになっている。こんなふうに要約しちゃうと身も蓋もないみたいだけど、実際は二重三重のメタファーが交錯した、あらゆる意味で実験的な作品である。(単行本では袋とじになっていたように、暴力描写がとにかく凄絶なので、そういうのがダメな人にはおすすめできません)
 「無垢な少女がひとりで危険な森を抜けてお使いに行く」というテーマは、もちろん「赤ずきんちゃん」の変奏で、「エミちゃん」では殺人犯が狼だし、この映画では「悪い生き物」がそうなのだが(「生き物」が赤いフードをかぶっているのも明らかにそう)、これだけ似たような話でも才能の有無というのは歴然としているものなのだなと思った。
 この監督の“The Sixth Sense”以外の映画は見てないけど、なんかやっぱりアラだらけの映画ばかり撮っているみたいで、それほど才能ある人とは思わないんだけど。

Insomnia (2002)
Directed by Christopher Nolan

 前に書いた“Memento”の監督の次の作品。でも、ノルウェー映画のハリウッド版リメイクってことで、それほど期待はしてなかった。
 しかし、リメイクされるぐらいだから、脚本は実によく書けてる。頭の悪い映画を見てしまったあとでは特に(笑)。ただ、おもしろいかと言われるとねえ。
 良心の呵責に苦しむ刑事の話で、それをAl Pacinoがあの演技過剰で、しかも寝不足のゾンビみたいな顔でえんえんとやるもんだから、それをじっと見ているのはかなりつらい。暗いし、重いし、見てるだけで疲れる映画。
 Robin Williamsがめずらしく犯人役だが、見るからに悪人面の役者より、こういう人畜無害で人が良さそうな顔つきの人が残酷な殺人犯をやるほうがこわい。“Seven”のKevin Spaceyがまさにそうだった。

2006年2月15日 水曜日

映画評

Hotel Splendide (2000)
Directed by Terence Gross

 これはなかなかいい映画である。いかにもイギリス映画らしい、変だけどほのぼのさせられる映画で、ジュネ&キャロなんかにたとえられているようだが、確かにそういう感じ。

 タイトルのホテル・スプレンディドは荒涼とした北の海の孤島に建つ伝統ある古いホテル。というと、高級ホテルかと思うが、実は単に古いだけでボロボロ(笑)。しかもこれはスパ・ホテルなのだ。スパというとやっぱり高級な感じがするが、実際は日本の湯治場の乗りで、客は今にも死にそうな爺さん婆さんばっか。
 島には他に何一つなく、本土と結ぶフェリーは月に1回しか来ないという隔絶した環境。客も最低1か月は逗留しなくてはならないわけだ。
 というと、幽霊が出てホラーになるか、殺人事件が起きてミステリになりそうな雰囲気だが、これはちょっと違う。

 このホテルはブランチ一族の家族経営なのだが、独裁者だった母親が死んで、今は長男のデズモンドが経営を任されている。次男のロナルドはシェフ、娘のコーラは健康セラピーの担当。マザコンのデズモンドは、母の死後もひたすら伝統を守ることに固執している。もっともここの伝統というのは、健康食と称して、もっぱらまずい魚料理を食べさせて、客を病気にすることらしいが(笑)。
 そこへ元従業員で、ロナルドの恋人だった副シェフのキャスが戻ってくる。彼女は母親と衝突して、ロナルドとも気まずくなっているようだが、今度はさっそくデズモンドとぶつかる。でも彼女の登場で、「伝統」が少しずつ崩れ、人々の生活にも変化が出てくるというのはお約束。
 客も含め、登場人物は見るからに異常な人間ばっかりなのだが、実はみんなそれぞれに悲しい人たちだということがだんだんわかってくる。つまり、客の老人たちを除けば、誰も好きこのんでこんな陰気くさいへんぴなところに閉じこもっているわけじゃないんですね。外の世界へ出て行きたくても行けない理由があるわけで。
 そして話はロナルドとキャス、コーラと客のセルゲイの二組のカップルの、ほほえましい恋を中心に進む。いや、本当にかわいいんだから。意地を張ってケンカばっかりしているロナルドとキャスといい、逆に二人とも内気すぎて10年間もうじうじと告白できずにいるコーラとセルゲイといい。
 コメディとしてもかなり笑える。やたら下ネタが多いのはちょっとアレだけど(笑)。
 でもって、最後はデズモンドがキレて、ついでにボイラーが爆発してホテルは炎上、というのも、この手の話のお約束だが、お約束通り、デズモンドはホテルと運命を共にするのだと思った。従業員も客もいっしょに母親をコケにするのに逆上したデズモンドは、完全に母親になりきって口紅を塗りたくったりして狂人みたいになってしまうし。
 それに自殺したコーラの遺体を前に、彼女のために10年かけて作ったブックマッチの鳥の彫刻が燃え上がるのを見ているセルゲイも、恋人と運命を共にするんだと思った。
 ところが、セルゲイはちゃんと島を離れるフェリーに乗っているのを見て、なんかすごくほっとした。ここらへんのいい加減さと優しさがイギリス映画っぽくて好きだ。しかし、デズモンドはいくらなんでも死んだと思っていたら‥‥映画が終わってエンドクレジットも終わったあと、いきなり続きがあって、彼は焼け跡に立って、逃げ遅れた従業員にいつものようにガミガミ小言を言っている。あー、この人も生きてたんだ!と思うと、ついニコニコしてしまう、そういう映画。意地悪な母親の嘘を信じて、不幸なまま死んだコーラだけがすごくかわいそうだけど。
 そうそう、言い忘れたが、語り手の客スタンリー(Hugh O'Conor)の存在感がすごすぎ。彼は水恐怖症を治すために両親にここに送り込まれたのだが、セックス中毒の童貞という、わけのわからない性格設定(笑)のうえに、なぜかパフォーマンス・アーティストの才能があるらしく、ヘンテコな芸や音楽を披露する。でも、その彼も最後は自分の殻を破って自立してめでたしめでたし。
 あと、キャスを演じたToni Colletteがすごく好き。毅然として恐れを知らない不屈の女性で、こういう強い女が好きなので。

おまけ
 ところで料理もこの映画の大きなテーマで、ロナルドの作る健康料理はものすごくまずく、キャスの料理はおいしくてみんなを幸せにするという設定なのだが、見ているぶんにはどっちもすごいまずそうにしか見えない。やっぱりそこらへんもイギリス映画(笑)。

2006年2月17日 金曜日

 ああもう、せっかく休みに入ったというのに、オリンピックだの映画だのばっかり見ていて、何もできやしない! って誰に怒ってるんだか(笑)。というわけで今日も。

トリノ・オリンピック

 冬季オリンピックでいちばん楽しみにしているのはスノーボード。スノボが好きなのは、スポーツの中ではいちばん自由な雰囲気があるからだというのは前にも書いた。今回も成田童夢だっけ? 演技の直前にカメラに向かって変なこと言ったり、終わると転げまわって喜んだり悔しがったりするオーバーなジェスチャーは、いかにもスノボって感じ。
 私なんか一昔前の日本人選手(スノボはなかったけど、オリンピック全般)のイメージ――勝っても負けても能面のように無表情で、開会式とかも一糸乱れぬ軍隊式の行進――が強いものだから、時代は変わったと思わずにはいられない。よって昔は日本人というと、感情を持たないロボットみたいに見られていたけど、あれを見ればそうじゃないことがわかってもらえるでしょう。でも外人もあそこまでしないので、童夢はちょっとやりすぎ(笑)。
 そのスノーボードだが、今回見ていて気が付いたのは(スポーツなんて私はオリンピックぐらいしか見ないので)、ハーフパイプって、ほんのわずかなミスでも減点の対象になるんだねえ。おかげで選手は大技や必殺技を見せるより、手堅くきっちりまとめることに苦心しているようで、これはちょっとスノボらしくなくていや。だいたい主観採点の競技って嫌いだし。
 今回はアメリカの天才少年が出ると聞いたので期待していたが、実際優勝したけれど、他の人たちもみんなうまいと思ったし、私の主観採点では必ずしも彼がいちばんとは限らなかったんだけど。

 実はそれより期待していたのがクロスのほう。オリンピックでは今回初めて採用された種目だが、私はやっぱり結果がはっきり見えるレースのほうが好きだし、タイム・レースじゃなくて4人がいっしょに滑るので、駆け引きや転倒もいっぱい見られるし(笑)。
 それでやっぱりすごくおもしろかった。ただ、私が見ても、「これ、妨害じゃないの?」というラフ・プレイがしばしば。競馬なら一発で失格と思えるような危ない場面でもOKなんだね。その意味、スケートのショートトラックにも似ているが、狭いところをクルクルまわるショートトラックより、やはり屋外の広いところで豪快に滑るのを見てる方が楽しい。
 しかし、スノボって本当によく転ぶもんなんだなー。もちろんこの人たちなら、普通に滑るぶんには絶対転んだりしないのはわかっているが、それにしてもスキーとくらべて、手が使えないだけでこんなに不安定になるのかと思った。しかも両足が固定されているから、転ぶと立ち上がるのもむずかしい。なんだか二重苦、三重苦で滑ってるみたいでご苦労さんである。
 しかし、解説者はしきりと「転倒が多いのがクロスの魅力」と力説するが、やっぱりみんな転倒シーンが見たいんだ(笑)。だったら、どんなうまい人でも転ぶようなむずかしいコースにして、とにかくゴールまでたどり着いた人が勝ちってすればいいのに。

 で、翌日の女子は「男子ほどスピードも迫力もなくてつまんないだろう」と思って見ていたのだが、土壇場で大波乱! スノボは好きなんだけど、いくら発祥の地とは言え、アメリカばかりが金メダルでつまらないと思っていた。女子のクロスも本命のアメリカ、ジャコベリスが決勝で独走態勢に入ったので、「なーんだ」と言って、ゴールに入ったら消そうと思ってリモコンを持って見ていたら‥‥
 最後の最後、ゴール直前のジャンプで余裕を見せて、エア(空中で技を決めること)を入れようとして見事に尻もちをつき転倒、その隙に離れた2位を滑っていたスイスの選手がゴールインしてしまった。
 ジャコベリスには気の毒だけど、これは大受け! 普通に滑れば順当に五輪史上初の金メダリストとして歴史に名を残せたのに、つまらん見栄を張ったために、逆にスノボ史上に残るマヌケな選手として名を残してしまったんだから。
 確かにクロスでは、もう勝敗を気にする必要がなくなったびりっけつの選手が、エアを入れるのは見てきたけど、オリンピックの決勝で、しかもゴール直前でこれをやるか? これって、マラソンでゴールを目前にした選手が、余裕のあるところを見せようとして、逆立ちで走ろうとしてコケたみたいなものじゃない(笑)。他人の転倒に巻き込まれてとかいうのなら悲劇なのに、やらなくてもいいことを自分で勝手にやっての失敗では喜劇になっちゃった。本人は「体勢を安定させようとやっただけ」とか苦しい言い訳をしているようだが、そんな見え透いた嘘(嘘だってことは素人目にもわかる)をつくあたりがまたバカっぽい。(この後、さすがに嘘だったことは認めたが、本当にいさぎよくない)
 スノボの選手はみんな脳天気でバカに見えるのがおもしろいのだが、その意味ではスノーボーダーの鑑のような人だ(笑)。えらい!
 ところで日本の藤森は、ベスト8進出とか騒いでるが、前の二人がコケたのを、離れたビリで追いかけていたので助かった完全な漁夫の利。おまけに準決勝でもまったく同じ場面があって、あわや決勝進出かと思われたのだが、このときはなまじっかついて行ってたので巻き込まれてやっぱりビリで終わった。なーんか、人の不幸に乗じて先へ行くってのはスポーツマンらしくないなあ(笑)。

 などと私は勝手に盛り上がってるが、国内の盛り上がりは今ひとつ。日本選手が誰もメダルを取れないかららしいが、例によって非国民の私は気にしない。だいたい海外のメディアの事前予想じゃ、日本はメダル・ゼロというところもあって、私はたぶんそうなるだろうと思ってるが。
 だいたいねえ、日本人がスポーツで勝とうとするなんて無理があるんだよ。体格だけでも日本人と白人や黒人とでは、男と女ぐらいの差があるのに。クロスみたいな滑降系の競技を見ていると、体重のなさが不利っていうのが一目瞭然だしねえ。
 私はとりあえず、打倒アメリカ・中国で、小国の選手を応援している。アメリカと中国が嫌いなのは、とにかくああいう超大国は人口の多さだけでも、他の国と対等に扱うのは不公平だと思ってるから。(その意味では日本だって人口は多いので、それであの成績は情けない。人口比から言ったらビリの部類なんじゃないか?)
 ああいう大国は州ごとに代表を出せばいいのに。逆にワールドカップで(弱いくせに)イギリスだけ地域別なのは不利だと思うけどねえ。それでもスコットランドやウェールズはイングランド人といっしょに戦うのはいやだと言うだろうけど。ちなみに私のワールドカップ予想は日本は1次で敗退というものですが(笑)。

 ところで私がスノボを好きなのはスケートボードが好きだからだが、スケボーはいつオリンピックに入るのかしら? 金持ちしかできないスノボと違って、スケボーならスラムのキッズにもチャンスがあって、いいと思うんだけどねえ。

2006年2月21日 火曜日

映画評

Dark City (1998)
Directed by Alex Proyas

 これは公開時に弟が見て、「おもしろい」と言っていたので見なくちゃと思っていたのだが、なんとなく忘れていた映画。でもズバリおもしろい。(ネタバレだけど、古い映画だからいいでしょう)

 この映画の登場人物は、自分たちが生きている世界がどこか現実じゃないような、まるで夢の中に生きているような不安感につきまとわれている。記憶もどこかあいまいで、自分の過去の人生も本当にあったことなのかどうか確信がない。まるでこの現実が夢で、目覚めてみたら本当の現実はぜんぜん違うもののような‥‥

 と書けば、どこかで聞いたような話だと思うでしょう? そう、“Matrix”そっくりですね。でも映画マニアなら似たような映画は山ほど思い浮かぶでしょう。というのも、この手の「偽の現実」テーマというのは、SF作家のPK Dick(JG Ballardと並ぶ、私のベストSF作家)が創始者で、Dick原作をうたったものもそうでないものも、多くの映画が彼のアイディアを下敷きにしている。この映画もそのひとつ。
 だから、アイディアとしてはちっともめずらしくないのだが、うまいのはそのアレンジの仕方である。そこらへんが“Matrix”のようなバカ映画(私は好きだが、やっぱりバカ映画に変わりはない)との違い。

 冒頭、主人公がホテルの一室で目覚めると、そばで売春婦が死んでいる。なのに彼には過去の記憶が何もない。それで殺人犯として刑事に追われながら、自分の過去とアイデンティティを探し求めることになる。
 というのは、実は話の本筋にはあまり関係がないし、映画ではよくあるオープニングなので、いらない気もするが、とりあえず出だしのサスペンスは超一流。

 さらにこの「仮想現実」の世界がすばらしい。たとえば“Matrix”では、仮想現実世界は我々の現実世界と少しも変わりない。他のたいていの映画でもそうだ。ところがこの世界はなんかおかしい。途中まで言及されないので、見ている方もなんとなく変だと思いつつ、何がおかしいのかわからないのだが、この世界では決して太陽が昇らないのだ。一日中夜の世界。
 と言ってしまうとどうってことないようだが、ご存じのように映画の中の時間は実時間と同じようには流れない。室内シーンも多いし、主人公が外へ出るときはいつも夜でも、最初は何も変だと思わないのだ。
 しかもそのことに気付くのは主人公だけで、そう指摘されても、他の人間は「そう言えば‥‥」と首をかしげつつ、あまり変だと思っていないらしい。

 この夜の町がなんとも言えず美しく、この美術のすばらしさはまったく期待していなかったので驚いた。カラーなのにまるでフィルム・ノワールのような雰囲気で、マットでダークな色調が美しい。しかも舞台となる町は現代の町ではなく、50年代ごろの雰囲気。このカビくさいレトロな雰囲気もいい。
 また、主人公は決して町の外へ出ることができないことにも気付く。住民はみな町の外の世界があることは知っているし、いつでも行けると思っているらしいが、行こうとしても道を忘れてしまっていたり、市外へ向かう電車は、どこの駅にも止まらなかったりする。
 細かいことを言うと、町の場所や時代が特定されておらず、どこの国のどこの町でもおかしくない(もちろん英語しゃべってるからたぶんアメリカかイギリスだということはわかるが)、通りの名前も記号のような無機的な名前がついているのもなんかおかしいと思えてくる。

 ここまで言えばおわかりのように、主人公は“Matrix”のNeoと同様、何かの拍子で「仮想現実」からはじき出されて、「現実」を垣間見てしまった突然変異なのだが、彼はさらに異常なことに気付く。夜の12時になると、町中の時計が止まり、彼以外のすべての人が眠り込み、その間に町の「改変」が行われるのだ。
 ほんの数分の間に、町のすべてが変わる。ビルが生き物のようにニョキニョキと伸び上がり、あるいは縮み、動き回り、まったく別の建物や街路に変化する。CGが映画ではほとんど使われていなかったこの時代、しかもあまり予算が豊富とは思えないこの映画で、どうやって撮ったんだろうと思うぐらい、このメタモルフォシスは幻想的で見事だ。
 人もそうで、人物は同じでも、貧乏人の夫婦が一夜にして大金持ちに変わり(もちろん彼らのあばら家も大邸宅に変身する)、職業も一夜にして変わり、そのついでに新しい記憶が注入される。主人公はその過程で、殺人犯の役を振り当てられたわけだ。

 ここらへんで種明かしをしてしまうと、この町は地球上の町ではなく、宇宙人が作ったもの。この宇宙人は共有精神の持ち主で――えーと、SF用語は解説しておいたほうがいいかな? つまり、種族のすべての個体が同一の意識と精神を持っているということである。ところがなんらかの理由でその精神が死につつあり、地球人の精神(魂と言い換えてもいい)を頂こうとしているのだが、その前に、さらってきた地球人にいろいろな順列組み合わせを試して、人間の精神について研究しているところなのである。主人公をはじめとする町の住民はその目的のためにさらわれてきた実験動物なわけだ。主人公が殺人犯にされたのも、殺人者の心理を知るための実験だったのだが、彼だけは「偽の記憶の注入」がうまくいかなかったので、奇妙なことになったわけだ。
 一般の映画ファンにはややわかりにくい設定だが、それでも“Matrix”の「人体を発電所として使う」なんていうバカげた設定よりは、はるかに説得力がある。

 また、この宇宙人には「精神の力で物質を自由に変化させる」という特技がある。この力で町を自由に変えることができるし、壁を通り抜けたり、空を飛んだり、好きな姿に変身できたりする。
 これは“Matrix”のエージェントもそうだったが、あちらはそもそもなんでもありの電脳空間だからできたこと。こっちはいちおう現実に存在する場所なので、超能力を持ち出さなくてはならなかったわけ。しかし、人間にはないはずのこの超能力が、なぜか主人公にはあることがわかってくる。つまり彼が人々の救済者であるThe Oneだったわけだ。
 と書いてくると、なーんか、やけに“Matrix”に似てない? もしかしてあれはこの映画のパクりか? その可能性も大。
 したがって、主人公と宇宙人の戦いも、この超能力を使った精神戦になる。これもやっぱりカンフーで戦うよりは論理的で納得がいく。

 ちなみに“Matrix”のエージェントが全員Men in Blackスタイルなのに対して、宇宙人の姿は白塗り丸坊主黒いコートのPinhead(“Hellraiser”)の針抜きみたいなの。もっともこれは「変装」で、人間に化けているだけで、本当の正体は光のような軟体動物風。

 さらに! すばらしいのはこの世界の「本当の現実」の正体。カメラがどんどんパンして行くと、見えてきたのは宇宙空間。この町全体が、宇宙に浮かんだ大地のかけらで、地下の部分が宇宙人の住む宇宙船になっているのだ。どうりでいつでも夜で星空しか見えないはずだ。このスケールのでっかさはこれまた“Matrix”の比ではない。町の住民だけではなく、町全体を地球からもぎ取ってきたわけですね。(実はそういうSFもいろいろある)
 これで思い出したのは、私が考える最高のSFマンガ家(SFの人気凋落とともに落ちぶれて、最近は仕事がないみたいだけど)板橋しゅうほうの『アイ・シティ』。あれも偽の記憶を植え付けられて、奇妙な町に閉じこめられた人々の話だったが、真相がわかってみると、彼らがいるのは巨大な世代宇宙船の中で、しかも階層ごとに少しずつ違うパラレル・ワールドになっているという、すごい展開に腰を抜かすほど驚いた経験がなければ、この映画にももっと驚いただろう。

 というわけで、SFファンにとってはべつに目新しい話ではないのだが、映画で、これだけSF的アイディアを盛り込んで、なおかつ破綻してないというのはそれだけで注目に値する。(“Matrix”を引き合いに出すまでもなく、SF映画の99%はストーリーが破綻している) しかも、独自のスタイリッシュな美学を感じさせるあたり、ただものではない。

 さらにB級映画(って言っていいのか知らないが、SF映画はまずB級だから)にはめずらしく、役者がいい。主人公を演じたRufus Sewellはギョロ目がいやなのだが、イギリス人だから許すし、(アメリカ映画なのに、スターでもないイギリス人役者を主役にするのはめずらしい、と思ったら、監督もエジプト人だった)、 刑事を演じたWilliam Hurtは、私はわりとうざいやつだと思っていたが、あまりにも渋くてかっこいいのでのけぞったし(レトロな刑事ファッションのせいもある。これが現代の刑事スタイルだったら何もおもしろくない)、宇宙人の親玉を演じたIan Richardsonはイギリス役者らしい重みがあるし、大好きなBruce Spenceも宇宙人役で出てるし、ゲジゲジ眉毛が嫌いなヒロインのJennifer Connellyでさえ、健気ではかなげなヒロイン役にはまっている。
 しかし、特記すべきはKiefer Sutherlandだろう。私は親父さんのDonaldの大ファンだったが、この子は父親そっくり、だけど、親父ほどハンサムでもないし、スタイルもよくない代わりに、父親が持っていた「変な」部分だけが拡大されて伝わってるので(笑)、異常者役を演じると涙が出るほどいい。
 ここで彼が演じるのは、いわば人間側の裏切り者で、宇宙人に協力している科学者なのだが、ならば血も涙もない悪党かというと、実は隠れて主人公を助け、宇宙人を倒すことを願っているらしい。だけど、見かけがあまりにもいかれているので(笑)、はたして信じていいのか悪いのか、主人公でなくても迷ってしまうという、単なる悪役ではない複雑なキャラクターになっている。
 とにかく顔見ただけで「狂ってる」と思わせる、こういう役者は貴重(笑)。単なるキチガイじゃなく、上品なユーモアもあるしね。かつて映画に登場したマッド・サイエンティストの中でも、白眉の出来だと思う。

 でもって、問題はラスト。こういう大風呂敷のSF映画はたいてい最後でコケる。だけど、このラストもなかなかじーんとさせる。クライマックスで主人公は当然のように宇宙人を倒すのだが、彼らが宇宙に浮かぶ異常な空間で孤立している状況には変わりない。ここでヘボい映画だと、宇宙船を奪って地球へ帰るぐらいが関の山だが、これはちょっと違った。
 主人公にとっていちばん大切な記憶は、海辺の町で過ごした子供時代の記憶である。その記憶だって本物かどうかわからないんだけど。そんな町は存在しないし、そもそも町から一歩出れば宇宙で、海なんかない。だけど、これほどの強大な超能力を得た彼は自分で海を作ってしまうのですね。町の外壁から大量の水が流れ出し、宇宙空間に浮かんだ島のまわりを取り囲む。さらにそこに太陽が昇り、Dark Cityに初めて夜明けが訪れる。(科学的にあり得ないという突っ込みは今回はなし)
 その海辺で彼は妻に会う。妻というのも偽の記憶で、彼女はまた新しい記憶を植え付けられて、彼のことは何ひとつ覚えていないんだけど、新しいロマンスの始まりを予感させて幕。
 なにしろ最初からずっと闇の中で話が展開してきただけに、太陽がさんさんと降り注ぐ明るい海辺の映像がなんともすがすがしく美しい、感動の幕切れになっている。

 というわけで、私としてはめずらしく手放しの絶賛に終わったが、私は映画を見ると、たいていIMDBAll Cinema Onlineをチェックすることにしている。それでACOのほうの日本人の評を見ると、なんかどれもこれもボロクソやんけー! なんでー?!
 とりあえず、この国ではまともなSFは受けないんだということだけはよーくわかりました。

 なのに、SF映画だけは性懲りもなく作られる。というわけで、私が今いちばん気にしている映画が“Scanner Darkly”。冒頭に書いたPK Dickの『暗闇のスキャナー』の映画化である。できればこれだけはどうしても映画にはしてほしくなかった。私にはあまりにもあまりにも思い入れのある小説だから。実はこれはSFではなく、純文学に近いのだが、ある意味、最もDick的な小説で、私は読むたびおいおい泣いてしまう。
 でもやっぱり気になるのでトレイラーも見てしまったが、なんと、実写と手書きアニメの合成! うーむ、本当に全編これなのか? だとしたらかなり実験的な映画で、わりとDickの雰囲気に近いかも。主演がKeanu Reevesというのもそそられるし、やっぱり見たいー!

 ついでに、“Dark City”の監督のAlex Proyasは他に何を撮ってるのかな?と思ってみたら、“I, Robbot”だって! これもSFでIsaac Asimovの古典が原作だが、私はこれだけは何があっても見る気が起きなかったのだ。というのも、Asimovのこの作品で私がいっとう好きなのは主人公の女性ロボット学者Susan Calvin。「おっかないおばさん」マニアの私としては、理想の女性のタイプで(笑)、自分の専門(つまりロボット)以外はまったく眼中になく、無慈悲で冷たいギスギスのオールドミスなのだが、そのSusanを演じるのが若いねーちゃんじゃないか! もうこれだけで私は幻滅もいいとこだし、この小説のおもしろさが半滅してるのは火を見るより明らかだから。せめてこれがSusan Sarandon(大好き)だったら見てあげたのに。

War of the Worlds (2005) (邦題 『宇宙戦争』)
Directed by Steven Spielberg

 一方、こちらは同じSFでもぜんぜん期待しないで見た映画。原作にも思い入れないし、Spielberg嫌いだし、Tom Cruiseもっと嫌いだし。でもビデオショップでタダ券をもらったのでタダならと思ったけど、時間と電気代を損しただけだった。

 ストーリーは要約するまでもないでしょう。宇宙人が攻めてきました。一方的にボコボコにされました。でも相手は勝手に全滅しました。というだけの話。そもそも『世界対世界の戦争』(原題)と大げさな題がついてるわりには、宇宙人の世界はぜんぜん見えないし、戦争にもなってない。宇宙人が地球の病気にかかって全滅するのは原作通りだが、これもあんまりな結末だし。(原作はヨーロッパ人の新大陸征服を念頭に置いてるのかもしれない。もっとも現実には病気を持ち込んだのは侵略者のほうだったけど)
 だいたいこれを今さらリメイクする意味がどこにあるのか? 確かにSFとしては古典中の古典だが、おかげで今見るとアナクロもいいとこ。HG Wells(原作者)の功績は「宇宙人侵略テーマ」というジャンルを創設したということだけだ。(これのおかげで、ろくでもない「SF」映画が大量に作られることになったので、どっちかというと功より罪のほうが大きいけど)
 つまりこれをそのまま映画化しても意味がない。どうせ作るなら何か今風のメッセージとかを付け加えるのが当然だと思うが、この映画のメッセージは「お父さんはがんばった」というだけ。宇宙人である必然はぜんぜんなし!
 これなら“Independence Day”のほうがよっぽどおもしろかった。“ID4”はトンデモ映画としてはワーストの座を争う最低映画だが、それでも突っ込みどころがありすぎるので私は楽しかったし(笑)。
 この映画も、「百万年前から準備しているほど用意周到な宇宙人(というか、気が長すぎる!)が、病気の対策もしてなかったのか?」とか、「これだけ科学が発達した宇宙人が、なんですっ裸なのか? 宇宙服着てるだけで感染なんか防げたのに。(これって前にもなんか別の話で書いたような気がする)」とか、「大阪は助かったそうだが、やっぱりバイキンがたくさんいたのか?(笑)」とか、突っ込みどころはあるのだが、あまりにあたりまえすぎておもしろくないし。
 たぶん作り手はパニック映画のつもりなんだろうが、パニック映画の基本は何一つ守られていなくて、スリルも感動もない。だいたいあの息子のエピソードはなんなの? Tim Robbinsのエピソードもまるで無意味で、意味もなく殺されてかわいそうなだけだし。
 唯一Spielbergらしいのは子役の使い方だけで、確かにいつもながら子供の使い方はうまいが、子供は絶対死なないことがわかっているので、サスペンスを殺ぐだけ。

 要するにSpielbergはもうだめっていうだけのことでしょう。かつては才能の片鱗を見せたこともある人なのにねえ。

2006年2月25日 土曜日

Strangelove Recordsのはなし

 今日は冷たい雨の中を新宿へ。何をしに行ったかというと、開店したばかりのStrangelove Recordsを見に行ったのである。
 そう、なんと(本家)Strangelove Recordsが営業再開したんですね。元は渋谷にあったStrangelove Recordsは私のお気に入りショップのひとつで、特に店名がなんともかっこいいと思ったので、閉店後、私がちゃっかりいただいて自分の店に付けたのだ。ところがオーナーがまたレコード屋をやるという話を、元店長のコスギさんから聞いて、私は大パニック。
 本家復活となれば、当然ながらうちはこの名を返上しなくてはならないんでは? でもコスギさんは、ぜんぜん違うタイプの店だから大丈夫でしょうと言ってくださったのだが。
 たしかに名前は同じ、看板も同じでも、中味は完全なブートレッグ専門店になってしまっている。昔のStrangelove Recordsは、小さいながらも「おっ!」と言わせる品揃えで好きだったのに。(これはもっぱらコスギさんの功績だったらしい)
 確かに今、中古CD店やマニア・ショップが次々ブートレッグ屋に衣替えしていくのを見てもわかるように、CDで儲かるのはブートレッグだけみたいだけどねえ。前はやはりブート屋が入っていた店舗で、看板が変わっただけで中味は何も違いはないように見える。というか、そもそも新宿のブートレッグ屋って、どの店も同じ商品を同じ値段で売っているだけで、なんのためにあるのか私はわからない。もちろんほしいものもないし。
 でも、ただ覗いて帰るだけじゃ、まるでスパイみたいなので、いちおうあいさつすべきかなと思って、店番の男の子に「実は私、コスギさんの知り合いなんですが‥‥」と話しかけてみたが、なんか反応なかったので細かい話はやめた。

 で、問題は名前である。もちろん私がStrangelove Recordsを名乗り続けたところで、法的な問題は何もない。こちらは主として外国人コレクター相手のウェブショップだし、顧客の重なる部分はまずないので商売敵にもなりえないし。そもそもこの名はKubrickの映画から取ったらしいが、うちはどっちかというと、Depeche ModeとStrangelove(バンド)だしね。(海外のお客さんはみんな最初はDepeche Mode専門店と思っている) 問題があるとしたら、むしろ私自身の気持ちの問題。

 というのも、6年もこの名前でやっていると、Strangelove Recordsというのは自分の店の名前として、すっかりなじんでしまったのだ。だから町を歩いていて、Strangelove Recordsの看板を見るのはかなりのショック(笑)。こっちが盗んだのに矛盾するようだけど、なんか権利を侵害されたような気がする。
 あとはやっぱりプライドの問題。うちは小さいながらも(おまけに赤字でも)品揃えにはそれなりの自負と誇りを持っているのに、「ブート屋といっしょにされちゃたまらないよ」という気持ちがある。(そんなこと言えた義理じゃないのにすみません!)
 ただ、こちらはやっぱりパクリだという負い目があるから、なんだかそれがしこりとなって心に引っかかっていて、どうも落ち着かない。それに国内のお客さんにとっては、やはり多少まぎらわしいかもしれない。

 そろそろ名前を変える潮時かもしれない。実は名前を変えたい理由はもうひとつあって、長すぎる!(笑) これをメールに毎回書くのはけっこうしんどいし(ATOKには単語登録してあるが、あいにく私はほとんどのメールが英語なので使えないのだ)、独自ドメインを取りたくても、長すぎるのでくどい。CD NowとかCD Wowとか、なんでああいうバカらしい名前を付けるのかと思っていたが、ネットでは名前が短いというのがかなり重要なポイントなんだよね。
 あと、せっかく「日本」が売り物の店なのに、これじゃどこの国かがわからないこと。これについては開店時、必死で「日本的な名前」を考えたのだが、どうも気に入るのがなかったのだ。

 一方、変えたくない理由。第1にはこの名前にすごく愛着があるから。第2には、名前を変えると膨大な数の登録先にすべて変更を申請しなくてはならないし、サイトのほうもかなりの書き換えが必要になるし、せっかく作ったショップカードもむだになるから。第3には海外のその筋のファンの間では、この名前がかなり浸透しているから。
 というわけで、今はまだ、「変えたくない」という気持ちのほうが強いのだが、もちろん商売になんらかの支障が出たり、あちらのほうからクレームが付いたら変えるつもり。

 そこで仮定の話として、新しい名前を付けるとしたら何がいいかなと考えた。確かに短い名前はいいんだが、たいていの名前はすでにあるんだな(笑)。サーチ・エンジンでヒットしやすいという利点を考えると、存在しない造語がいちばんいいんだが、あいにく文才がなくて思いつかない。
 それとも商品構成がよくわかるような名前がいいかしら? もっともこれも、昔はMansun専門店だったので、Mansunがらみの名前をいろいろ考えたのだが、思いつかなかったし、そもそもMansunがなくなってしまった今ではなんかむなしい(し、集客効果もない)。
 その点、Depeche Modeはコレクター人気は絶大だし、私も大好きで力を入れているから好都合だったわけだ。
 うちの看板アーティストは言わずとしれたUNKLEなので、むしろUNKLEがらみの名前がいいかもしれない。UNKLE Records。これじゃまんまだー! Psyence Recordsはかなり行けるかもしれない。これは存在しない綴りだから、ヒットしやすいし。ただ語呂があんまりよくないなー。サイエンス・レコーズじゃ。
 じゃあ、セカンドのタイトルにひっかけて、Neverland Records。こっちのほうが店名としては落ち着きがいい。だけど、すぐにUNKLEを連想させる名前じゃないし、当然のようにすでに同名のレーベルがある。そうそう、Recordsが付くと、レコード会社と間違われることが多い。もうビニール盤はほとんど扱ってないわけだし、やっぱりCDなんとかのほうがいいのかも。
 などと、当分これで悩むことになりそうです。

シムじまんのはなし

 ついでなので、もうひとつの私のサイトの話も。私としてはほんの余技のつもりだったのに、今や私のサイトの中でも最大で最高の人気を誇るシムじまん。(今でも、来訪者数を見るだけで「嘘だろー」と思います) なのに、私の他のサイトはすべて英語がメインなのに、これだけはこれまですべて日本語だった。
 というのも、私にとっても英語で書くのはそれほど楽じゃないうえ、このサイトはどっちかというと読み物サイトなので、それを全部二か国語で書くのは、いくら私でも手に余ると思ったから。英語は仕事だけでたくさん(笑)。たかが遊びのためにそんな時間割くのはいやだと思って。
 だけど、ワールドワイドという意味では、シムピープルも例外ではない。というか、そもそもアメリカのゲームだし、世界中で各国語版が発売されている。これまでも、すべて日本語(ということは、海外の人が見ると文字化けしてすさまじいことになる)にもかかわらず、多くの外国人が訪れてくださっていたのは知っていたが、とうとう国際化の波に押されて、英語版を作ることを決意した。
 と言っても、200ページ近くあるすべてを翻訳するのは不可能なので、必要最低限の情報だけだけどね。それでも分量が2倍になるんだから、リンクの修正だけでも大変!

 サイトの再構築はまだまだ先が長そうだけど、これを機にシムじまんも世界デビューさせることに決めました。これまでは日本語という引け目があったので、シム・コミュニティ(これがまた音楽とは比にならないぐらい巨大で、活動も活発なのだ)の中では、なんの宣伝もしなかったし、なりをひそめておとなしくしていたんだけど、ためしに主要なフォーラム2つに宣伝の書き込みをしてみたのだ。
 すると、すぐに反応が返ってきて感動。もちろん日本のファンの支持もありがたいが、この世界では神様みたいに思っていた人たちから賞賛の言葉をもらうと舞い上がってしまう。バンドのファンダムにも「有名人」はいるが、そういう人たちはしょせん同じ一ファンなのに、この人たちはれっきとしたクリエーター(下手するとゲーム本体のクリエーターよりも優秀な)なんだもん。音楽であれ、ゲームであれ、私はものが作れる人を尊敬するのだ。

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